キリマンジャロの雪




「黙っている時も、喋っている時も、君を愛しているよ」


ル・アーヴルの靴みがき」(感想)と本作とで、日本じゃ今年はジャン=ピエール・ダルッサンだと思う。しかもこの二作には、個性はしっかり違えど同じ血が流れている。
埠頭で「労働者」たちが淡々とくじ引きを見守っている無音のオープニングシーンは、カウリスマキ映画ぽい。しかし、リストラ対象となった主人公が上田正樹的な音楽をバックに妻を迎えに行き「デート」に誘うあたりから、当たり前ながら違った空気になる。のんびりした雰囲気だけど、彼は最後に「くじ引きなんてするんじゃなかった」と口にする。そういう映画だ。


港町マルセイユに暮らす、ミシェル(ジャン=ピエール・ダルッサン)とマリ=クレール(アリアンヌ・アスカリッド)の夫婦。会社で人員削減が余儀なくされ、労働組合の委員長であるミシェルはくじで退職者を選ぶことにし、自身の名も引き当てる。二人は子どもたちからお金と長年の夢だったキリマンジャロへの旅券を贈られるが、強盗に遭い、どちらも奪われてしまう。犯人はミシェルと共にリストラされた青年だった。


ミシェルは職場のロッカーにスパイダーマンの切り抜きを貼っている。これは「ヒーローにならんとしてきた労働者」の話だ。
自身も退職者候補に加えたのはヒーローであらねばという思いから、妻もその気持ちを共有している。しかし二人の間にズレが生じることもある。警察で犯人に手をあげてしまう夫を見た妻は黙ってその場を去り、家でも「手錠されてる相手なのに」と目も合わせない。「ヒーローを気取っても、早期退職したただの年寄りなのよ」。夫が「本気か?」と憤るとあっさり「ええ、そう思ってるわ」。この時の彼女の、誠実さと信頼感とが見て取れる笑顔がいい。この場面に限らず、ものを言い合い、影響し合う二人の関係が心に残る。


全ての登場人物が、自分の立場から意見を述べまくる。詰め込みすぎの感もあるけど、気楽な稼業と見える刑事や、幼い子どもの世話を放棄している母親など、少ししか顔を出さない者の言葉も嘘くさくないから、上手く出来てるんだろう。
ミシェルは自宅のバルコニーで、ワインを飲みながらオリーブの種を飛ばし「30年前の俺たちがこんな風景を見たらどう思うだろう」と口にする。妻は「小市民だと思うんじゃないかしら」と答える。彼女は、介護に通っている老婦人の娘?に対し「夜中の長電話に付き合わさせられることもあるのに、いつ連絡してもあんたはいない」とくってかかる。金持ちに対する反感と、他人の面倒を見るのは当然だがそれは決して楽しいものではないという考え方、見ようによってはこれこそ「小市民」かもしれない。また終盤の「貧しい人々を分断しようって魂胆よ」なんてセリフには、カウリスマキコントラクト・キラー」のマーガレットによるマルクスの引用を思い出してしまった(笑・しかしこのセリフにこそ、おそらく作り手の気持ちが端的に表れてる)
ミシェルは「同じ労働者だから犯人を許そう」と心に決めるが、当の青年クリストフは「日曜にはステーキ焼いてワインを飲むんだろ」「俺たちの稼ぎをかすめやがって」とにべもない。ミシェルの弟の「闘争の歴史を(次の世代に)伝えてくるべきだった」という言葉が頭をかすめた。返事に詰まるミシェルは、ほぼ捨て台詞の「何かしたいなら(俺の留守の)家に行って植木や金魚の世話でもしろよ」と言われた通りにする。柔軟な妻に対し、無骨な彼の性分に笑ってしまう。


「南仏の労働者」の暮らしぶりが見られるのも面白い。ミシェルの家族は集まると戸外でバーベキュー、イワシを焼いてそのままかぶりつく。付け合せは生のラディッシュ。義理の妹が作るティラミスは一度は無駄になるが、最後にまた活躍する。一方失業した身で年の離れた弟たちの面倒を見るクリストフは素のフレークを食卓に出し、たまにはクレープを焼いてやる。弟たちはチョコスプレッドの大瓶を取り合う。隣のお姉さんへのお礼、兼デートは近くのバーガーショップ。贅沢なんだろう、弟には「太るから週に一度だけだぞ」。このように、同じ労働者間でも「格差」は大きい。
マリ=クレールが老婦人の介護に訪れる家は、玄関に鍵を掛けていない。彼女ら夫婦の家もそのようだ(だから強盗に入られてしまう)。対して子どもたちの住む新しい集合住宅には、よそ者を拒むセキュリティゲートがある。


冒頭ののんびりした雰囲気から一転、強盗に押し入られる場面の緊張感。義理の妹は失禁し、その後は日常生活を送るのも困難になる(夫であるミシェルの弟が犯人を憎む理由となる)。失業後のミシェルが元の職場を覗いた時の、休憩中の仲間たちの顔の幸せそうなこと。印象的な場面が幾つもある。
不意に美男子も登場する。一人で酒場に行ったことなどなかったマリ=クレールが出会うウエイター。彼と強いお酒は、「自分で決めた人生」といっても、まあ譲ってはいるんだから、このくらいのご褒美はいいでしょ、というところか(笑)
ラスト、夫婦のやりとりと家族のパーティだけで「終わり」にせず、多少の苦さを描いているあたり、ふとジム・ローチの「オレンジと太陽」(感想)を思い出した。同様に岩波ホールで観たからというのもあるかな(笑)