間奏曲はパリで



オープニングは品評会を控えて牛にブラシを掛けているブリジット(イザベル・ユペール)とグザヴィエ(ジャン=ピエール・ダルッサン)。妻がこれを着けたらと玩具のティアラを取り出すも、夫は「失格になるぞ、早くブラシを掛けろ」とつれない。ここで彼らの畜産場で働く青年レジスの笑顔が挿入されるのに疑問を抱いていたら、これには意味があるのだった。他者の介入でカップルのバランスが取れるという話でもあった。


「牛の品評会」というと「マディソン郡の橋」を思い出す。家族が牛の品評会に出掛けた間に、妻が恋に落ちる。「主婦」のフランチェスカは留守番をしていたが、本作のブリジットは畜産家なので(あるいは諸々の理由で)夫婦揃って出掛ける。この映画はそれゆえの苦悩と喜びを描いているとも言える。尤も学生時代に「羊飼いになりたい」と言っていた…「幻」を夢見ていたブリジット自身は、「品評会なんて!」と嫌がっているのが面白い。尤もそれも、夫との仲次第かもしれないけど。


畜産業を営む夫婦は、ベッドや食事だけじゃなく昼日中も一緒。いつも一緒に居るのなら、何が気に障るか、何が可笑しいかなんてことの違いも疲弊に繋がる。夫の方は気にしていないふうなのは鈍感なのか。彼が家業を継ぐ気の無い息子を悪く言った時、ついに妻は踵を返して夫と「道」を違えてしまう。そんな時には…もしもそれでも相手が好きならば、お医者が効くのだ、という話でもある。終盤、迎えの車の中で「診察はどうだった?」と聞かれたブリジットは、前の晩に他の男にベッドで言われたことを(勿論、それとは言わず)口にする。


ジャン=ピエール・ダルッサンを直近に見たのは「ル・アーヴルの靴みがき」だけど、本作にも、今のフランスを舞台にした映画には欠かせない「移民」要素がある。パリで警察に追われながら糊口を凌ぐインド人の青年アプーと親しくなったブリジットは、彼に自分達の牧場で働いてもらうことにする。このことについて、夫婦の考えが一致していると分かる。ブリジットがパリまで追い掛けた青年スタンの元から黙って逃げ出したのは、彼が移民のことを蔑んだから。全てが「同じ」じゃなくてもいい、でも許せないことというのがある。


妻の「浮気」を知ったグザヴィエがオルセー美術館をぶらつくくだりが、あの「絵」ありきだとしても随分感傷的でびっくりしたけど、終盤にブリジットと観客が同時に(この場面絡みの)ある事を知る場面には、「映画」ならではの感動があった。本作のユペールの一番の演技はおそらく、あの事を知ったあの表情だろう。この時に活きる「カレンダーへの書き込み」を始め、「回転扉と牛」など、本作にはちょっとした面白い仕掛けが幾つかある。


観光客を含め、様々な人種の姿がはっきりと画面に映しだされるのも印象的。スウェーデン人に間違えられたデンマーク人のジェスパー(実際はスウェーデン人のミカエル・ニクヴィスト)が、ホテルの部屋のPCでモニカ・ゼタールンドの「Trubble」を流すのが楽しい。イザベル・ユペールミカエル・ニクヴィストによる、田舎から出てきた旅行者二人の付かず離れずのデートは何とも言えず「大人」で、何とも言えずパリの町に合っていてよかった。