UNHCR WILL2LIVE映画祭2019にて観賞。2018年/ドロッチャ・ズルボー監督/ハンガリー制作。娘を児童婚から救わんとする母の尽力で単身ソマリアからハンガリーに渡ったカフィアの日常を追ったドキュメンタリー。
ソマリアでの暮らしについて「周りにいる男性は全員嫌いでした」「イスラム教徒じゃない人は殺されます」などの言葉が、冒頭の、卒業試験に向けた口頭練習でカフィアの口から出てくる。現在について「周りの人は思ってる、私は難民らしくない、悩みも何もないんだろうって」「皆は私がどんなふうに生きてきたか知らない、今でも本心を出さないようにしている」などと、中盤から彼女自身のナレーションが流れる。父が自分を年老いた男に売ると決めたため母が逃がしてくれた、一年間逃げ続けた、疲れてもう移動したくない。これらを語るのだってどれだけ勇気がいったことかと思うとその声が心に染みる。
15歳でハンガリーに辿り着いて二年、「ソマリアには海があるのに泳いだことがない」「運動をした経験がない」と言うカフィアは高校の卒業資格を取るために「裸みたいに思える」水着姿で泳ぎを習ったりロープ登りを習得したりする。後者など自分で黙々と練習しているのみに窺えたこともあり、なぜ卒業資格を得るのにこれらが必要なのかと考えてしまう。そんな余地は無いので時間は割かれていないが教師はどう指導しているのだろうか。翻って勉強に付き合いながら「覚えれば済む」なんて言うハンガリー人の恋人のやばさは一目で分かる、絶対ダメなやつだ(笑)
高校での職員会議で、卒業試験の論題につき「ユダヤ法なんて題はカフィアには酷じゃないか」と話し出す教師が、歴史の授業で「どのような政策が取られた時に人は国から逃げ出すか」と皆に聞く。どんな教師もこういう単元ではするであろうこの問いかけが、先に書いたことの答えではある。多くの国の子どもに共通する、教科を学ぶ面白さや姿勢といった根本があるはずなのだ。ちなみに正解は「同化政策」だが、そう聞いて授業を受けている生徒達は何を思っただろう。加えてカフィア一人を見ているとそりゃあ美しいけれど、モデルスクールで同じような年代、体型の女性達が同じようにポーズを取る練習をしている様子にはどこか恐ろしさも感じた。