難民キャンプで暮らしてみたら


UNHCR WILL2LIVE映画祭2019にて観賞。2015年/クリス・テンプル、ザック・イングラシー監督/アメリカ制作。アメリカ人映画製作者がヨルダンのザータリ難民キャンプに滞在し日常を記録したドキュメンタリー。

見るまで気付かなかったんだけれども、製作者は56ドルの所持金で56日間をグアテマラで過ごす「1日1ドルで生活」を撮ったアメリカ人青年の二人だった。国連UNHCR協会に映画制作の許可を得て出発の準備をする様子から、昔の日本の新聞記者がスラムに潜入して書いた「貧困ルポ」のようなものを連想するが、勿論そういうものではなく、現地に向かう車内で彼らが通訳者にまず教えてもらう(かに見える)アラビア語は「映画製作者」なのだった。口は出すが手も出す隣人らに手伝ってもらいテントを張るが、金品目当てで襲撃されるかもと警察に言われ、夜は11キロ離れた街の倉庫で寝て早朝にキャンプに戻る生活を続けることとなる。

難民キャンプの「モデルケース」だというザータリには、「無意味に施しを受けるのは好まない」シリア難民らによる、正式に認められたちょっとした商売により、「シャンゼリゼ通り」なんてメインストリートまで出来上がっておりにぎやかだ。しかし現地のUNHCR側のリーダーは、このような経緯で街が形成されても自分達が都市形成の術を知らないためいびつなのだと言う。女性の社会進出を進める機会もあまり活かせていないと言う。私にはこの映画は、UNHCRが自らの弱点を見せてプロフェッショナルの支援を募っているようにも感じられた。

難民の家族の世帯主の多くが女性である。本作に出てくる「シングルマザー」がキャンプでなく支援の届きにくい街で暮らす理由は、子ども達がヨルダンの公立学校に通えるからだという(国王の方針によりヨルダンの生徒が帰ってから専用の授業を受けられる)。一方でキャンプにも学校があるが難民の子ども達の多くは不登校である。アメリカ人二人は医者になるのが夢だというラルフを何とか学校に連れて行くものの、後で父親に「君達が心の傷を開いてしまった」と理由を聞かされ涙する。このくだりはかなり不用意に思われた。それだけ少年の笑顔が、その裏に悲痛な事情があっても輝いていたから、傷に思い至らなかったのだろうか。