カラオケパラダイス


フィンランド映画祭にて観賞、エイナリ・パーカネン監督2022年作のドキュメンタリー。まずは登場するのが「フィンランド映画で見たことのあるような人」ばかり、あれらは実際を映し取っていたんだね、表情も光景も。「工事現場の扉を開けるのが仕事」の青年の顔に、雪の中にぽつねんと立つ小屋の前まで娘を迎えに来る父親の車。

ピンクで書かれた「カラオケパラダイス(Karaokeparatiisi)」のタイトルの後に空気は一転、雪に覆われた森の中の一本道をゆく車。最初と最後に登場して映画を締める、「セラピストになりたかったけれど家計の問題でなれなかった」と語る経験豊富なカラオケ司会者のエヴィは車の中で着替えや寝泊まりをしながら、ヘラジカに衝突しそうになりながら、フィンランド中を駆け回る。「あなたを愛してる」「キーを二つ上げるわね」が必要とされる言葉、時にさっとしたハグも。終盤にはオンラインでの大会の様子も紹介されるけれど、それだってそう、彼らが必要としているのは「場」であることが分かる。

映画で主人公が車のハンドルを握っていればそれは自分で人生を運んでいるってこと、すなわち全ては「比喩」として見ることができるけれど、ドキュメンタリーだからかフィンランドだからか!ここには比喩と現実の境界がない。人々がカラオケの場にやってくるまでの実際の道のりが彼らの人生の道のりのように見える。加えて「人はみな自分が人生の主役だと錯覚して生きているけど、私はそうじゃないと知っている」…とはどういう意味なのか、パーキンソン病で子どもに恥ずかしい思いをさせてるんじゃ、声が出なくなるんじゃと悩み苦しむ女性が手術前に隔離された状態で歌を歌う映像に、「場」という要素以外のカラオケの特殊性、すなわち既存の言葉に、節に、自らの思いを託すということについてふと考えた。

見ながら二年前のフィンランド映画祭で見た『リトル・ウィング』のセルマ・ヴィルフネンがその前年に撮ったドキュメンタリー『ホビーホース!ガールズ』(原題Hobbyhorse Revolution、2017)を思い出していたら、本作の方も同様にNHKBS世界のドキュメンタリーで『KARAOKEが私を変えた フィンランド カラオケ物語』として放送されていたようだ、気付かなかった。ホビーホースは少女が考案し少女達がそれへのリスペクトを求めて活動しているものでカラオケ文化とは真逆とも言えるけれど、それゆえ通じるところもあるように思われた、その特殊性を含めて。