大手通信会社のコールセンターの目的は顧客の解約を阻止すること。現場実習生として働き始めた高校生のソヒ(キム・シウン)が客に罵倒される冒頭から、なぜこの二者が争わねばならないのかという疑問、その異様さが浮かび上がってくる。以降こんな映画は初めてだと思うくらい「仕事」の内容がつぶさに描かれる。そこでは彼女の「普通」が潰され壊されていく。暴言を吐かれれば傷つき、人が死ねばお悔みを伝えたく思い、賃金がもらえなければ怒り、褒められれば喜ぶといったような。そうしたいわば人間性の発露は「損害」を与えるものとして排除される。あるいは利用される。
こんな仕事、おかしくない?と誰かに言えなきゃ変だ。しかし高校生の仲間は同様の理不尽な実習や無職の不安に追われており、職場のチーム長、母親(父親とはそもそも会話がない)、担任と大人達は皆彼女の言葉に目を逸らす。後半、刑事のオ・ユジン(ぺ・ドゥナ)が彼らを訪ね歩くと、これは彼らではなく社会全体の問題だということが分かってくる。母親は大企業の名に騙され、就職率を上げねば補助金のもらえない学校において教員は管理職にどやされている。オ・ユジン自身も勿論上司に怒鳴られる。
正月すぎの「寒そう」なソヒの素足は寒さ、すなわち非人間的な環境に慣れて麻痺してしまったことの表れだろう。それが不意の陽の光で混乱した。彼女は自分が残業で親友に会いに行けないことがあっても他人が同じような状況にあり得ると納得することはない。若い時分とはそういうものなのか、いや切羽詰まっていたんだろう。彼女を迎えに行けなかったパク・テジュンがオ・ユジンに「今度カッとなったら誰かに話して、私でもいいから」と言われてこちら、私達を真正面から見据える画が素晴らしい。後ろに差す暖かな光はラストシーンに繋がっている。これはぺ・ドゥナ演じる理想的な人間の行動によって陽の光が回復する物語なのである。