毒親


コリアン・シネマ・ウィーク2023にて観賞、2023年キム・スイン監督作品。

毒親」という言葉が日本で広く知られるようになったのはいつ頃だろうか。本作によると韓国では日本ほど一般的ではないようで、女子高校生のユリ(カン・アンナ)は「インターネットで見つけたみたい」「面白い言葉」と言っている。これはその概念、更にその根にある「『愛されていれば幸せ』とは限らない」との真実に幾人かが辿り着く話である。それで解放されるのが、ヘヨン(チャン・ソヒ)の言う「肉みたいに人間もランク付けされる社会」において下の方とされる「教師」なのが面白い。

ユリの「うつ病になるのはメンタルが弱いからですか」、イェナの「勝手に可愛がったり大目に見たり見なかったりしないで」など、子どもから大人への、弱い者から強い者への訴えが印象的だ(まだ何もできない、ユリの幼い弟は大声でアピールしたり叫んだりする)。悪人でなくとも自分の言動の根を見つめ直さないと人を傷つけてしまう。同時にそれもまた「ランク付け」の弊害だということが分かる(例えば『同じ下着を着るふたりの女』の母親の叫びによるメッセージほどの強さは無いが。私はああいう方が好み)。

ロングヘアの後ろ姿で登場するイェナ(チェ・ソユン)はユリと双子のよう、彼女がダンスの最中に倒れこみ髪で頭部が覆われているとユリそのものにも見える。体育の後のジャージ姿で初めて言葉を交わした時には幸福そうに笑い合っていた二人が大人の手による文脈によって分断されていく…が心のどこかはずっとくっついている。「将来の夢はお母さん」なんてセリフがあんなふうに使われることがあるなんて、と思うがこの気持ちは「お話作りに対する感心」に近く、ユリもイェナもまだ高校生なのに大人すぎるだろうと少し悲しくなってしまった。