ウインド・リバー




「誰に宛てた文でもいい、彼女から出た言葉なら」


(始めに語られるこの「文」に「my perfect world」とあるのでイーストウッドの「パーフェクト・ワールド(A Perfect World)」を思い出していたら、どことなく彼の映画に似たところもあった)


満月の下に凍てつく大地を少女が必死に逃げているオープニングタイトル、山羊を狙う狼を一匹は撃ち一匹は逃がすコリー(ジェレミー・レナー)の仕事、彼と元妻らしき女性が子をよりよく育てようとしてのやりとり、息子に教える先住民式の馬の乗り方、狩りを子に叩き込むピューマのやり口、冒頭に描かれるこれら全ての根に生死があることに驚き、引き込まれた。


(以下少々「ネタバレ」しています)


終盤の病室でコリーが「都会と違ってここには運など無い、死ぬのは運のせいじゃなく弱いからだ」「僕は命を救ってはいない、君はタフだ、戦ったから生き延びたんだ」と語る時、彼が「戦士」という言葉を使う意味が分かる。ジェーン(エリザベス・オルセン)は裸足で10キロも走った「同志」を思い涙を流す。この時ふと、私が西部劇を、見ることは見るけれど好きではない理由を改めて思った。平たく言うと「戦士」になるつもりがない、あるいはなれない者はどうすりゃいいんだと考えてしまうから。


全編に渡って、私の好みとしては、セリフが多すぎ、かつその装飾があまりに過ぎた。「この物語」にしては人々が喋りすぎ…上手く喋りすぎである。ただし作中一度目のコリーの涙とそれを見たジェーンの「point me」に、あえてそうしているのかもと考えた。「セリフの応酬」でも無いと辛すぎるからと。


ナタリーの兄はコリーに「妹の恋人はあんたくらいの年だ」と言う。希望の無い社会ほど女は年の離れた男とくっつく…くっつかざるを得ないものである。しかし終盤挿入される、女の肌が気持ちよくて仕方ないという男(ジョン・バーンサル/出ていると知らなかったので登場シーンでびっくりした・笑)の指、他の土地を激しく求める女の目、そこには確かに何らかの愛があるとでもいうような、あの場面はよかった。正直なところ、皆が喋りすぎるこの物語において、「今」はおらず喋れない二人には奇妙な魅力があったと言える。