スターリンの葬送狂騒曲



冒頭の文の字幕に(恐らく字数の問題で)「恐怖で支配した」とだけあるのを見てふと、例えば「歌う」は二項動詞で「何を」歌うかを必要とするが、ただ歌うとしか言い様がない時がある、「支配する」だってもしかしたら、ただ支配というものがあるだけの一時があるのかもしれないと考えた。モロトフマイケル・ペイリン)の妻は自分を捕らえた相手を「私達のスターリン」と呼び、葬儀の行われるモスクワに呼び寄せられた人々のうち1800人が適当な采配により死ぬ。


マリヤ(オルガ・キュリレンコ)が弾くモーツァルトをバックに、馬鹿馬鹿しいこと限りない事態が次々と示される冒頭がまずいい。同志アンドレエフ(パディ・コンシダイン)の「17分後っていつから?」「殺しやしないから残るんだ!」とリストによる殺人とが平行して進み、スターリンの食卓で皆が盛り上がる小便・大便ネタは実は周到に準備されたものだと分かる。あげく彼らはスターリンの小便を嫌がるはめになる。


「座らない」スヴェトラーナ(アンドレア・ライズボロー)は結局「座らない」ことしか出来ず、最終的にはフルシチョフスティーヴ・ブシェミ)の手によりその場から去らされることになる(ブシェミのあの「ちょんちょん」の手!/それにしても、この映画の感想を書こうとするとどうにも奇妙な形の動詞を使わざるを得ない。それだけ異常なのだ)


マレンコフ(ジェフリー・タンバー)が加工した自身の写真を二つ見せられて(こっちを使え、ではなく)「こっちを破壊しろ」と言うのもちょっと面白い。見せたいもの以外を完全に消す、隠ぺいの本質を見るようだ。そう言えば落語の「死神」の一節を思い出すシーンもあった、スターリンが持ち直したというので「おべっかを使って生き残った」年寄りの医者が礼を言われる場面。「死ぬと言っておけば、死んだらその通りだとなるし死ななければ褒め称えられる」。