配信犯罪


話はテレビ局に求職中の青年ドンジュ(パク・ソンホ)がガールフレンドのスジン(キム・ヒジョン)の誕生日に彼女と連絡が取れなくなるのに始まる。友人から違法配信動画のリンクを受け取っていたことがばれたせいらしいが、冒頭よりドンジュの、友人らの行為を咎めない、自分さえ巻き込まれなければいいという態度に不快感と疑問を覚えていたのでそれも当然と思う。映画の終わり、傍観者ましてや需要者は加害者だということがn番部屋事件の発覚前に書かれたというこの作品の一番の訴えだと分かる。最後に流れるニュースの「需要者側に重い責任が」とは本当に日本でも進んでほしいところだ(新宿区で最近も行われた「売春」の取り締まりなどにおいても)。

(以下少々「ネタバレ」…になるかも)

この映画にはいわゆる煽情的な場面は一切ない…なんてことを2020年も過ぎてわざわざことわるのも馬鹿馬鹿しいけれど。動画主「ジェントルマン」はスジンのストッキングの匂いを嗅ぐ、手を握るなどの気持ち悪いが他のことよりましかもと思われる行為しかせず、性的な場所も晒さず、それは「じらし」にも見えない(…あたりから「どんでん返し」の内容の予想がついてくる)。「ジェントルマン」を演じるパク・ソンウンの年のいった感じや表情の作りもの感が振り返れば絶妙である。

冒頭に挿入されるドンジュによるスジンのイメージ映像が何とも間抜けなら、終盤オフになったディスプレイに映る泣き顔も間抜けである。ガールフレンドのことなど実は何も分かっておらず、「自分のもの」である彼女(や姉などの身内)が被害者になって初めて憤怒する。「身内が被害者になって気付く」という物語を提示することの是非というのはあると思う、いまやそんな例えによる諭しは誰もしない(し自分が被害者になって初めて怒り出す男に魅力を感じる女はいない)。「あなたも少しは楽しんでるんでしょ?」にドンジュがびくっとするも自身の欲望を自覚した上で一瞬の後に思い直すらしき場面はよかったけれど…「ジェントルマン」の「少なくとも人間味ある人が一人いた」はそういうところもひっくるめての言なのだろうか。