マルコム 爆笑科学少年/愚直な殺人者

特集上映「サム・フリークス Vol.24」にて二作を観賞。いつも組み合わせが素晴らしいけれど、今回はとりわけ、これまでになく、有機的に絡んでいるように感じられた。


『愚直な殺人者』(1982年スウェーデン、ハンス・アルフレッドソン監督)の主役、「知恵遅れ」のスヴェン(ステラン・スカルスガルド)は「姉さんは金持ちと結婚した、お金持ちは船や飛行機でドイツやアメリカ、どこへでも行ける」と語るが、それと対照的なのが姉夫婦が帰省するのに乗ってくる列車だと言える。『マルコム 爆笑科学少年』(1986年オーストラリア、ナディア・タス監督)の主役、岡さんの前説によればナディア・タスの弟がモデルだという発達障害のマルコム(コリン・フリールズ)がまず乗る、いや運転するのは列車でもなく路面電車、「会社の資産」で作った乗り物で線路を走り「私(ボス)が笑い者になった」と言われクビになるのに映画が始まる。

『マルコム』のラストシーン、銀行強盗でお金を得たマルコム、フランク、ジュディスの三人は路面電車の走るポルトガルにいる。船や飛行機よりも路面電車の方が、いや乗り物が作れれば、人はどことも繋がっている、どこへも行けるということのように私には思われた(しかも表面さえそれらしければ「本物」とみなされる、最初の強盗に使ったトラックのように)。一方で『愚直な殺人者』のスヴェンは資本家ホグランの「足」として運転免許があろうがなかろうが意に介されず使われるが、バイクと免許という自分の「足」を得ようとすると阻まれる。バイクが遂に沈められた時、彼は殺人者になるのだった。


ナディア・タスの作品はおそらく一番有名な『エイミー』(1997)しか見たことがなかったけれど、多種多様な人々が密接に暮らす路地が舞台というのは『マルコム』も同じだった(ちなみにこれが「長屋」を連想させることもあり、歌でしかコミュニケーションできない少女のために大人達が歌で話す『エイミー』は落語の『豊竹屋』を思い出させる、そっちは物好きが勝手にやってるだけだけども)。「お母さんは子育てを間違ったね、役に立たないものばかり作るようになって」などと言う女性やマルコムに惚れていながら電車の話に呆れて帰る女性もいるが、みな根は優しく自由を邪魔する者はいない。

マルコムが作中初めて笑うのは自分達三人が三人とも無職になった時、ウエイトレスとして働くジュディスの体を触ってフランクにぼこぼこにされた男達の姿を「情けなかったこと!」と思い出して。そんな職場ならやめていい。それはスヴェンが、宗教的な根もあろうが、自分を救ってくれた一家のためにこれからも一生懸命働きますと誓うのと表裏一体なのだ。仕事ってそういうものだろうと思う。

マルコム達がコンピュータで操作するゴミ箱の姿のあまりの愛らしさ。1986年といえばアメリカではジョン・バダムが撮った『ショート・サーキット』などが公開されており私も思い出深いけど、ロボットならあのゴミ箱みたいな方がいい。終盤はアイスクリーム屋のトラックというので学生時代に大好きだった『サンダーボルト』(1974年、マイケル・チミノ監督)を思い出したけれど、これだって今振り返ったら死ぬことない(それが「ニューシネマ」といってもね)。なんだかそんなことを思いながら見た。