復讐の記憶


80代のハン・ピルジュ(イ・ソンミン)が自らに刻んだ文字を目にした少女が中国語でしょ?その母親が習ってるんです、これからは中国語だからというようなことを言う場面に、今の韓国では漢字といえば中国なのかと思うわけだけど、そもそも20代のパク・インジュ(ナム・ジュヒョク)が漢字を解さない(彼は英語も喋らず話すのは韓国語のみ)ことが映画のちょっとした仕掛けにもなっており、日本語を書く者ならリメイク元の『手紙は憶えている』(2015)を未見でも冒頭のある場面で引っ掛かりを覚えるだろう。しかし全くかけ離れた派手な作りが、例えオリジナルを見ていてもあの大ネタをひととき頭から消し去ってくれる。

先日スクリーンで見た『エドワード・ヤンの恋愛時代(原題「独立時代」)』(1994)でも大きな位置を占めていたフライデーズに始まるのは東アジアにとってのアメリカを見るようでもあり、韓国でも日本でもない世界(それがアメリカとは)を求めるピルジュの心を窺うようでもある。「いつもと全然違う」と言われるピルジュの眼光が鋭すぎるだろうと思うが、次第にそれこそこの映画になくてはならないものだと分かってくる。標的の一人は「老人達の(日本との)戦争にいつまでつきあわせる気か」と講演で語るが、自衛隊60周年式典のくだりなどそれどころか「全くもって終わっていない」ことが表現されており見事だった。最後の「助けて」にはその立場なら朝鮮語の一つも覚えて喋れよと思ってしまった。

旅の始まり、ポルシェに乗ることがバケットリストだったと言うインジュとポルシェは手段にすぎないが「バケットリストか、いいな」と言うピルジュ。ハンドルを握りながら第二次大戦に関する知識を口にするインジュにフォードと勘違いしているとその時代を知るピルジュ。若者を巻き込まないよう老人が動くこともあり(すぐ巻き込まれるんだけど笑)インジュの存在が霞む時間もあるけれど、最後に至りやはり彼が必要だったと分かる。ピルジュがこの世から消えてもインジュが「悪いことをした奴が罰せられない、そんな世の中が許せない」との今を生きる若者にも在る気持ちを引き継いでいく話なのだから。このようなセリフや「誰かが犠牲にならなければ全員が殺されていた」と同胞を売った理由が語られる場面からは、日帝強占期の話ながら広範囲に手を伸ばしているといった感じを受けた。尤も日本人の私達は後者から、植民地支配こそが悲劇の元凶なのだとの思いを新たにせねばならないけども。