LOVE LIFE


「違うの、守るっていうのは死なないってことじゃないの」とは愛の対象がそこに居るか否かは関係ないという意味だから、このセリフからこの映画が「LOVE LIFE」をどう解釈しているかが分かる。同時にオセロを「ゲーム」で済ませてしまうような明恵(神野三鈴)が自身の理屈に則って生きていることも分かる。主人公の妙子(木村文乃)を筆頭に誰もが自分の世界をしっかり生きている。人には他者に見えない部分があるという面白さ、そもそも映画というのはこれを描くメディアなのだと改めて思うと共に、それに物語を合わせているような印象もちらと受けた。

(以下少々「ネタバレ」しています)

LOVEとは「それ」と分かったとて、私にはこれは恋愛映画、しかも極めて前向きな恋愛ものに思われた。妙子と二郎(永山絢斗)が迎えるラストの、おかえり、おかえり、ただいま、これからどうする?分かんない・ご飯食べた?まだだけどお腹空いてない…と後の展開から窺えるのはいわば未練である。何でもない人と一緒にどこともなしに歩いたりお腹を空かせたり…つまりその後一緒に食事をしたり…したいわけがない。

「よりを戻す」だなんて古いスタイルとも言えるけど、妙子の「ナポリタンにしたんだ」とのセリフから二郎が何をするか決めるところから家事をしていると分かるのを始め、彼女ばかりが荷を背負っているわけではないので未来が明るく見える(映画はあらまほしき状態を描くものじゃないとはいえ、現代における物事の提示にはそうした感覚が必要でしょう)。そもそも彼女は子どもにオセロで勝とうとしたり「知らなーい」と言ってのけたり、二郎の父(田口トモロヲ)に中古呼ばわりされれば取り消してくださいときちんと言える、自然な、もしくは見習いたいところのある女性なのだ。

冒頭息子の敬太が台所に立つ父親に分からないよう母親と交わしている(つもりの)韓国手話でのやりとりに閉塞感があるのは、あそこに既にパク・シンジ(砂田アトム)が存在し後に二郎を追い詰めるから。一方でパク・シンジの息子に早口の韓国語で話しかけられた妙子がもう一度と聞きこちらの方がいいかと韓国手話で返される場面には奇妙な風が吹いていた。彼女が彼には私がいなきゃと思っていたのはあの言葉を二人だけのもののように感じていたからじゃないだろうか、嘘をつかれたこと以上にあそこで目が覚めたんじゃないかと考えた。