オルガの翼


映画は2013年の陽の光の元のオルガ達に始まる。冒頭の、仲間と体操の練習中にふざけたり親友サーシャの演技についてコメントしたりコーチに励まされたり「キーウの大規模工事の裏で市長にお金が流れてると記事にしてるのに何も変わらない」と仕事に奔走し大会に来られないジャーナリストの母親に文句を言ったりというオルガの日常は、卑劣な権力による「私のせいじゃない」事情で一変する。亡き父の故郷スイスにはiPadに広々とした個室、目の前に立派なジム、チームの皆も時に気は遣ってくれるがフランス語はよく分からないし初めての綱のぼりで手のひらが擦りむける。

そんな中、チームメイトとお湯の中でリラックスしながらヤヌコーヴィチ大統領の名前が通じなかったり「どこだってウクライナよりまし」と言いたいのに翻訳アプリがおかしな間違いをしたりで笑い合う場面の「朗らか」という言葉を久々に思い出させる素晴らしさ、私も笑い声が出た。こんな時でもあんな時間があり得る。しかしスイスチームのユニフォームを着ての勉強中にマイダン革命激化の一報が入る。その後のオルガのひりつきが、作中の大半を占める、実際のアスリートであるアナスタシア・ブジャシキナ演じる体操シーンや、実際のデモ参加者が撮影した動画の数々と被さり切実に迫って来る。彼女は自身の疲労骨折に気付いていたのか。

そしてサーシャ、ああサーシャ。当初は広場でお茶や毛布を出すなどの活動に「自分が必要とされていると感じる」と話していた彼女の方が現地にいないオルガよりむしろ落ち着いているように見える。欧州選手権での再会に「この方が広場で楽だから」と短髪にした(ほんの少し前にはシャワーを浴びていないらしきルームメイトをディスっていた)彼女が「スマホの光を掲げて国歌を歌う」動画(Netflixのドキュメンタリー『ウィンター・オン・ファイヤー ウクライナ、自由への闘い』(2015)にもあった)を見せて話をしてくれる姿、競技中のあの行動。しかしその後、あまりに死に触れすぎて潰されそうになってしまう。その頃にはオルガの方が自身がウクライナにいないことに耐えられなくなっている。

映画は2020年の陽の光の元のオルガと子ども達に終わる。「私のせいじゃない」事情に翻弄された彼女はたった15歳にしてとある決断をしウクライナの未来に携わっていた。あの時すれ違ったサーシャを今は後ろに乗せバイクで町をゆくそのナレーションは「帰国して荒れ果てた広場を見て言葉がなかった、何事も元には戻らない」であった。