砂時計

年末年始の休みにと韓国ドラマ「砂時計」を見始めた(1995年制作・45分×24回/映画じゃないけどこのカテゴリで)。昨年発売されたエトセトラ「私たちは韓国ドラマで強くなれる」掲載の「韓国ドラマと言論弾圧の歴史」を読み興味を持っていたところ、同居人も見たいと言うので。先の文によると、脚本を手がけたソン・ジナいわく光州民主化運動を描くために企画された作品なんだそう。


テス(チェ・ミンス)、ウソク(パク・サンウォン)、ヘリン(コ・ヒョンジン)の若者三人が当時の政権下で各々の事情や信条に従って進む道のり。日本で言うところの光州事件が7・8話に渡り記録映像もふんだんに用いて語られる(現在ここまで視聴)。釜山に逃れたヘリンは「光州で民間人一人死亡」と報道する新聞記事を目にする。漁港で知り合った女性は「新聞にそんなことは出ていなかった」と誤解しつつも労組の幹部として酷い目に遭った若い女性を住まわせ、ヘリンの面倒もみてくれる。弱っている人は助けなければという気持ちが理解よりも上位にある。ヤクザのテスは弟分ジンスの故郷である光州を訪ね、その母親が軍人に殴られ血を流すのを見る。法学部を休学し入隊したウソクは武力鎮圧の命を受け光州へ送り込まれる。そして殺し合いの場で、市民機動隊のテスと戒厳軍のウソクは邂逅する(と言っても気付くのは後者のみだが)。
タクシー運転手が、当初は訳が分からずにいたのが乗客が連行され車のガラスが割られたのを切っ掛けにデモに加わったり、ジンスが母親や目を付けていた近所の女の子が被害に遭ったことから立ち上ったりと、戒厳軍の暴行に黙っていられなくなった市民の姿が多く描かれている。後者の「銃はぼくたちの税金で買ったものだ、国民に向けていいわけがない、何もしなかったら連中はまた同じことをする、丸腰でも立ち向かわなきゃ」、その母親の「私たちの言うことは信用されないから他郷の人が話さなきゃ、そのためにあなた(テス)はここから逃げて、そうすれば生涯苦しむと分かった上で頼んでいる」。

ドラマ序盤、成績優秀なヘリンはカジノ王である父親の商売仇に拉致された際、当の父から「お前は助けられないかもしれない、娘はどのみち家から出て行くしな」と聞かされる。兄は兄で、一見可愛がられているがその実二級市民扱いである母や妹を大事にしたいのに思うようにできず困惑している。しかし家から出るとヘリンは学生運動家としての危機の度に男達に救われる。彼女はイ・ジョンジェ演じる父の部下ジェヒに「自分だけ助けられるのは部外者のようで辛い」と告げる。この気持ちは大変よく「分かる」けれども、この苦悩は作中の現実とドラマの「ヒロイン」であることと双方に掛かっているとも取れ奇妙な感じがする。
ヘリンが男の警察に「どうせ恋人につられてやってるんだろ、徹夜とか言って何してるんだか」などと言われるのには苦笑するしかなかった。このドラマでは70年代だけど、「1987、ある闘いの真実」(2017)のキム・テリ演じる女子学生など現在の観客に同じようなことを言われていたからね。

ドラマ「ミセン」(2014)のostではウラジーミル・ヴィソツキーによる「野生の馬」を韓国のバンドがカバーした「ロマン」が印象的だったものだけど、本作でも戦死者を悼むロシアの愛唱歌、映画「鶴は翔んでゆく」にも使われた「鶴」を同国のヨシフ・コブゾンが歌ったものがテーマとして流れ心に残る。こういうムードを好む伝統のようなものがあるのだろうか。