イドリス・エルバ演じる「娘とぎくしゃくしている、現在は一人身の男性医師」という主人公の設定は監督のバルタザール・コルマウクルが製作・脚本・監督を手掛け主演もした『殺意の誓約』(2016年アイスランド製作)とほぼ同じ。何かを映し出しやすいキャラクターだったことだろう(「医師」というのは彼の映画のテーマ、生死のふちに関わる存在である)。尤も対象が広いのであろう本作では、彼は最後に妻、あるいは南アフリカそのものと和解するんだけども。
映画には主人公(側)が母親のルーツを初めて訪ねるものが少なくなく、それは観光客ではないという免罪符、同時にそうはいってもよそ者なのだという落とし穴になる。南アフリカの「ミストとWi-Fi」(水と通信手段)のない土地へやって来た本作の父と娘二人もそう。シャールト・コプリー演じる現地在住の生物学者は、写真の道に進みたいと考えている長女メアに対し村は生活の場なのだから勝手に撮影しないようにと注意する。ちなみにこの映画の、密猟者(それを求める者)のせいで村人が被害に遭うという悲劇は、パキスタンの大雨の被害につき温室効果ガスの排出量が最も少ないレベルの国が気候変動の影響を一番に受けたと書いていた記事を思い出させた。
たまたま前日にPeter Barakan's Music Film Festival 2022で見たやはり南アフリカについての映画「ミカ・カウリスマキ/ママ・アフリカ ミリアム・マケバ」で、マケバがThe Click Songにつき「そんなタイトルを付けるのは発音できないから」「どうやってその音を出しているのかと聞かれるけど、音じゃない、言葉なんです」と話していたのが印象的だったものだけど、ちょうど本作の序盤にそれに似た音声が出てきた。現地の住人がライオンの群れの一頭に付けた名前にあった。母親に言葉を習っていたメアがそれを繰り返すことが出来たのがよかった。