別れる決心


ヘジュン(パク・ヘイル)はソレ(タン・ウェイ)の「ついに」を聞き咎め「私より韓国語がうまいですね」と皮肉を言い、「絶命」は違うと感じた彼女の「間違えた言葉を口にすると笑ってしまう」につられて笑って謝罪をし、「単一」なんて言葉遣いを面白く感じて二人の共通語にしようとする。「頭部裂傷」は知らずとも「防水」は知っているなんてくだりには、生活環境を踏まえての基本的な配慮あっての問題だけども、相手が言葉を知っているか否かを判断すること自体に権力が働いているのだと思わされる。序盤のこうした描写は彼が悪気なく強者の地位に安住していることを示していると同時に、母語でもってぬくぬく暮らしている私にはよい教えとなった。

(以下「ネタバレ」あり)

マーラー交響曲第5番第4楽章、確固たる愛の言葉(刑事と容疑者という関係においての「深い海に捨てて」)を口にして去る男、母と祖父の遺灰の入った壺を見、「崩壊」の意味を確認する女で物語は折り返す。映画において遺灰を撒くための旅路とは男が辿るものだが(近年は例外もあるが)、ここでは女がそれをする。しかし自分ではできず男にさせるのだから同じことの裏返しである。ソレは国に取り上げられた「私の山」に韓国の「頼もしい男」の手でもって遺灰を撒かせる。思い返すなら例えば死んだ夫の職場の壁にずらりと並んだ男、男、男の顔…こんな世界で生きているんだからそうするしかない。

最後にソレが海辺で一人砂を掘る姿に、そうだ、女にはやらなきゃならないことが多すぎるからまっとうな恋も連帯もできないんだとふと思った。彼女に親愛や同情の念を抱く女はいるが、実際に何かし合う相手はいない。ヘジュンには「酔って女の家へ行く」なんて暴力行為に出て「くれる」男の後輩スワン(コ・ギョンピョ)もいたのに。そんな中でへジョンの女の後輩ヨンス(キム・シニョン)の、「(夫が続けて死ぬなんて)すごい偶然だな」に対するソレの「なんてかわいそうな女だ」への笑いや終盤の「なぜ疑うんですか、かわいそうじゃないですか」が息をつかせてくれる。差し出した煙草の火を同僚に断られる姿からは警察が男の組織であることが分かる、彼女もまた一人なのだと。

振り返ると私にはヘジュンよりソレの方こそ理解できる。ヘジュンに見られるのを面白く感じ、見せる代わりとでもいうように自分もよくよく見る(彼女の「次の旦那」など自身を反射させてトレーニングしたり自らの写真を待ち受けにしたりと彼女を全く見ない。一方でヘジュンの妻ジョンアン(イ・ジョンヒョン)の常に怪訝そうな探るような目つきは夫が見返さないから)。映画を新しくするのに『潮風のいたずら』『ハート・オブ・ウーマン』の男女逆転リメイクといったようなやり方もあれば古典的な物語を力の入れどころを変えて語るこうしたやり方もある。その点では成功しているが物語が同じなら果たしてこれは何なのかという気持ちがなくもない。