公開二日目、新宿ピカデリーにて観賞。とても面白かった。
(以下「ネタバレ」あり)
「おとぎ話」の後に「JANE GOT A GUN」とタイトルが出て、真っ白い生地をこねる手。カメラが上ってゆくと、ナタリー・ポートマン演じるジェーンの視線は手元になく、窓の外に遊ぶ娘と、夫のビル(ノア・エメリッヒ)が帰ってくるであろうその先に向いている(「下りられない崖」のこちら側に建てた家だから、そちらしか無い)。この、「女」を表す冒頭に引き込まれた。これは後の、元恋人のダン(脚本にも参加しているジョエル・エドガートン)が家の外から内の、こちらに目もくれず夫の包帯を洗うジェーンを見る場面や、逆にジェーンが内から外の、やはり黙々と穴を掘るダンを見る場面と対になっている。これらの一方通行の後、二人は「蜜月」の時をそれぞれ思い起こす。
手負いの夫の処置を済ませ、話を聞いて、夫の拳銃を身に付け、友人の元に娘を預けに行く。「あなたはどこから来たの?」「ママのお腹から」なんて耳を惹くやりとりで自身の愛を「確認」させ一人になると、馬での歩みも音楽も、速く激しくなる。対照的に映画の終わりには、銃を提げ紙幣を積み馬で駆けてくるジェーンを、彼女のために花を束ねるパートナーと娘が待つ。
ジェーンがダンに言う「自分のことばかり話さないで、色々な所に色々な人がいて、皆違う物語があるんだから」とは、気恥ずかしいほど「直接的」なセリフだ。「西部劇」の「女」も生きているということに他ならないのだから。そういう少々「浮いた」部分や、ナタリー・ポートマンと私、気が合わなさそうだなと思う部分もあるにはあったけど、見るのに支障なかった。フェミニストも色々だからね!
しばらく後に二人の間で交わされる「こんな戦いは嫌」「嫌なのは撃たれることだ、戦うなら勝って終わらないと」なんてやりとりの後、敵が来ないかと遠くを見張る「男」と足元に目を落とす「女」の間に一瞬、断絶を見る。しかし男の戦地での話を聞くと、確かに誰もが物語を持っており、共に歩むのもありなのだと思う。自分の物語を語り合った二人は、憑き物が落ちたような表情を見せ、並んで座る。
瀕死のビルが引き金を引く時、この物語は、こんな世の中は嫌だという三人が居場所を守る話なのだと思って涙がこぼれた。しかし権力者であるビショップ(ユアン・マクレガー)…「無法者」とされているが、弱い者にとってはやはり権力者に違いない…は、それを許さず追い詰める。事情を知らないとはいえ、戦争に行き捕虜になり、今は敵討ちに燃えるダンのことを、ビショップは「戦いが好きなんだな」で済ます。これは「マッドマックス 怒りのデス・ロード」の武器将軍が女達の逃亡と戦いを「痴話喧嘩」と片付けるのにも似ている。
女であるがゆえに落とされた地獄から、女であるがゆえに救われる。やるせないことだが、ダンがビルに言ったように責任は取らねばならない。だからジェーンは「家」を守ると決めている。いざ敵に撃ちまくられると守るべきは「家」でなく「私達」になる、この変わり身の速さがいい。夫の命の灯が消えたのを認めると蝋燭の火を吹き消し、地上に現れた時にはその髪がほどかれて、すなわち解放されている。この映画はこういうところが上手い、これにはぐっときた。