ワース 命の値段


予告にも使われている場面で主人公ケン(マイケル・キートン)は列車内でヘッドフォンをしているため起きていることに気付くのが遅れるが、彼は弁護士としてよかれと思い「心安らぐ」音楽でもって外部…他者の感情を遮断している。ゆえに家では犬に心配され、あるいは気を引かれ(「こいつは私ばかり見てる」)、妻のおやすみを無視する。それが人の声を聞くことになり衝撃を受け混乱、葛藤するという話である。

「お金を受け取らせ前に進ませること」を自身のすべき支援と信じるケンは同時多発テロの補償基金プログラムの特別管理人の職を無償で請け負うが、「議論の場に出ればみな理性的になる」と考えており、経営パートナーのカミール(エイミー・ライアン)に「まるで政治家みたい、人間として話をして」と注意されても初対面の被害者遺族に対し「提訴しても勝てる保証はない、補償金は非課税だ」などと述べ反発を受ける。

「プログラムを修正せよと訴えるウルフ氏(スタンリー・トゥッチ)は私に何を求めてるんだ」とのケンの問いに、集会に出向いたプリヤ(シュノリ・ラマナタン)が一言「会ってください」。しぶしぶ持たれた対話の場で、ケンと私達は彼が拠っている法には明らかに「おかしい」点が多々あり、しかも国は大企業が口を出せば法など一日で変えてしまうということに気付かされる。そもそも「前に進む」とは誰が?という話なのだだと。

個々の声を聞くようになったケンが機上から地上を眺めるのは、見えすぎる眼鏡を外して目を休ませているようだった。小中学校の教員などもそうだけど、私生活でも職務のことを考えなきゃならない仕事は本当に酷で人を選ぶと思う。

国の案を被害者遺族が飲まざるを得なかったという話がどう終わるのかと見ていたら、会うことこそが最初の一歩だと言うこの映画は、ケンが最後に「人が彼に会いに来る」という成果を得たと語る。これにはなるほどと思った。しかし、映画のせいじゃないけれど、自分なりの良心でもって感情を遮断していた人物が変わってゆくという物語を、おそらく違う理由で感情を排除する人達が跋扈する今、どう見ればいいのかという複雑な気持ちにもなった。