キス&ハグ/シュガー


特集上映「サム・フリークス Vol.2」にて日本初上映の二作を観賞。前者のラストには感極まって泣いてしまい、後者にはこんな映画があったんだ(そりゃそうだ、あるべきだ)とびっくりした。



▼「キス&ハグ」(1999/パオロ・ヴィルズィ監督)は行き詰まった人々がひょんなことから一堂に会するクリスマスの物語。


ダチョウの向こうで電話の相手に捲し立てているのがラップにしか思われないオープニングが面白くも、冒頭しばらく、あまりにめまぐるしくて咀嚼できなかった。彼らの心情に同調していたとも言える。パオロ・ヴィルズィの車の使い方はいつも素晴らしいが(映画監督なんだから当たり前、とは言えないよ)、ここでも前の座席に並んだ二人が喋りながら進むのを間に入り込んで捉える、食い気味の感じがとてもよかった。「事故が起こるんじゃないか」というつまらない心配も勿論させない。


偶然に、強制的に集められた(これが前回上映された「イントゥ・ザ・ホワイト」(感想)と繋がっている)、ごちそうと音楽と詩のディナーにマリオが感じた愛はそれこそクリスマスの晩のひと時の夢だったかもしれないが、それをそれで終わらせないというのもありなのだ。「暖炉の火を絶やさない」のが得意な彼の優しさが(この一年、彼はその心持を誰かにふるっただろうか?)、陽が射し電気や電話が通じてからも消え去ることのない、すなわち真の天国を作る。「三口で食べちゃった」「おれなんて一口」ずつしか無いこの食卓がそうなのだ。



▼「シュガー」(2008/アンナ・ボーデン&ライアン・フレック監督)はドミニカから野球だけを手にアメリカに渡った「シュガー」の物語。


「キス&ハグ」のラストの分け合い小さくなったごちそうに対し、「シュガー」は一人で抱える大盛りの皿に始まる。「キス&ハグ」における「人気ピザ店のメニュー」「テキサスの孵化器」「I love you」なんて手放すことも出来る憧れの対象であるアメリカに対し、「シュガー」でドミニカから目指すのは強大な力を持つアメリカだ。量販店の衣料品のタグに自分の国の名を見る場所にやって来るとはどういうことか。シュガーは自室にニューヨークのカレンダーとドミニカの家の写真を並べて貼って、居場所を探す。見ながらふと「ポリーナ、私を踊る」(感想)を思い出したものだが、私はこういう、合わないと思えば場所を変えてゆく話が好きだ。最後の「元」「元」「元」も良かった。「元」が全然ありな方がいい。


アメリカ人が自分に対して言うであろう文を自分が口に出して練習するという奇妙なコーラスに一人のれず、手にしたボールを見つめるシュガーの横にタイトル。見ながら二度、そうだ、彼は野球が好きだったんだと思い出す。冒頭のレッスンの逆が、いわばレアリアを使って卵料理の種類を教えてくれるウェイトレスだろうか。実に言葉の映画である。「あなたの言葉が分からない」「スペイン語で話してもいいよ」、後からやって来た同郷の仲間にも追い抜かれるほど彼が英語を身に付けられないのには理由があるのかもしれないが、無理することはない。道は色々。こんな映画もあるんだと嬉しかった。


私の父母は学生時代や就職したてを東京で過ごした後に母の両親の住む名古屋に越しており、私が大学で上京したまま帰らずにいると「夢」があるわけでもないのになぜ東京に残るのかと言ってきたものだ。私はその時々、少しでも暮らしやすい所にいたいだけ。この気持ちを久しぶりに思い出した。だから、シュガーの母親が野球選手でなくなった彼を何となく受け入れる電話のシーンが妙に心に残った。