思春期 彼女たちの選択


マイ・フレンチ・フィルム・フェスティバルのオンライン上映にて観賞。2019年、セバスチャン・リフシッツ監督。フランスの田舎町に暮らす二人の少女の13歳から18歳までを収めたドキュメンタリー。

映画は中学二年生になったアナイスとエマが教室で並んで先生の話を聞くのに始まる。「あなた達の十年後なんて知る由もない」。よくもこんな場面が撮れたなと考えるべきかこのようなシステムの国の教員がこのような話をするのは必然と考えるべきか、振り返ればこれは、フランスの教育制度の中でティーンエイジャーが他の誰も責任を取ってはくれない道をゆく話なのだった。

学校に通っている二人にとってその比重は大きいものだから、特に前半は教室の場面が多いのが私としては楽しかった。先生達の喋る内容が多く使われているのが印象的。生徒がインプットしている(されている)内容を記録しているとも言える。そう考えたら、終盤に哲学の授業での「子ども達は刷り込みを受けて育つ」という教師の熱弁が挿入されているのも面白い。

シャルリー・エブド襲撃事件についての教室での意見交換、放課後の友達とのお喋り、夕食の席でイスラム教徒はテロリストとは違うと両親に強くぶつけるアナイスの姿(親の反応は映されない)。教員が想定する見本のような連鎖がここに記録されている。この映画では、「うちは貧乏、私は苦労している」と自ら認めるアナイスの方が熱心に政治を語る。一方のエマは反応が薄いように見える…のを、これが「フィクション」だったなら、母親とのぶつかり合いで摩耗しているのかもしれないと解釈するところだけど、実際には分からない。この映画を振り返って最も思うのは、人が考えている内容は外からは全く分からないということである。こんなにも言動が焼き付けられているのに、出てくる人々が何を考えてそうしているのか私には何の確信も得られない。

男の子の話をしていたのが実際に、アナイスが先に、男の子と付き合うようになる(直前の場面における「完璧な男子はいない」!)。「初体験」の話をしていたのがやがて、これもアナイスが先に、経験するようになる。頭の中で考えていたことをいわばなぞる。さすれば映画の終わりのアナイスの過去の振り返りと未来の予想からして、そりゃあドキュメンタリーだけども、そうなるのだろうかと想像する。この映画の撮影こそが、ああいうことを彼女に考えさせ、言わせたのだろうか。