キャロル



ハイスミスの「キャロル」のことは、映画化のニュースを聞くまで知らず、初めて読んだら、素晴らしい小説で、映画を見たら、根っこに同じものが流れていても、描写の仕方が色々違っており、そのことに気を取られて、話に入り込めなかった。ただ、二人が見上げる何かが映る度、私も実際にそれを見上げているような、妙な感覚に陥った。


キャロル(ケイト・ブランシェット)がカウンターに置く革の手袋が大写しになることから、二人の関係の始まりは「物事に偶然は無い」と言う彼女が仕組んだものだと分かる(原作では彼女は手袋を持ち帰り、テレーズがクリスマスカードを送ったことから連絡を取り合うようになる)誘うのはいつもキャロル。昼食での「日曜にうちに来てもいいのよ」は向かい合ってまともに顔を見ながら(私にも顔がはっきり見える)自宅での「私を招待してちょうだい」はすぐ向こうを向いてしまう(私にはどんな顔だか分からない)旅に誘う時には憔悴しきって、もはや懇願に近い。あの「手袋」あってのこれらの表情、その変化が面白い。
テレーズを演じるルーニー・マーラについては、「ドラゴン・タトゥーの女」からこっち、端的に言って、キモいんだよおめえはよう!と思ってたんだけど、本作では全く気にならなかった。(ケイト演じる)「キャロル」に全く心惹かれないのにその恋心に泣かされるんだから、不思議なものだ。
ちなみに私は昔から何でも「恋愛もの」が好きで、特に(「少女」)漫画など恋愛絡みのものじゃないと読めなかった程なんだけど、この映画を見ると、自分が求めていたものがはっきりと分かる。よく出来た恋愛ものには、人が考えて行動する、ということの繰り返しが描かれている。


映画らしい露骨さでもって、これが「女達」の話であるということが示される。ハージ(カイル・チャンドラー)が誰かの妻としか覚えていない知人女性の「煙草を吸うと夫が嫌がる」、キャロルの「あなたには幸せになってほしい/自分を偽っていたら私の存在意義がない」。初めての昼食において「テレーズ・ベリベット」と口にしたキャロルは「キャロル」とだけ名乗るが、リッツで待ち合わせた夕、テレーズは自分を「裏切った」キャロルを「キャロル・エアード」と紹介する。また「好きで(実家の)フロリダに帰ってると思うか?」と言うハージの、両親との食卓や弁護士事務所での辛そうな顔からは、女を人間として認めることが誰もを楽にするのだということも伝わってくる。
面白かったのは、原作ではテレーズとの関係に緊張感があった、いや、テレーズの視点でのみ描かれているためにそう「見え」たキャロルの元恋人・アビーの、下の世代の「同類(「女」、とりわけ「女を愛する女」)」への思いが前面に出ているところ。セックス出来る者同士の、セックスの介在しない素晴らしい関係もあり得るのだという当たり前のことをよりはっきりと体現している。
「女同士の『性愛』もの」であるということも勿論、少々手を変えて示される。アビーがおそらくキャロルの気持ちをほぐそうと口にする「狙っている」相手についての会話や、レコードショップでテレーズを見る女達のカット。ちなみに原作で印象的だったのは、あまりものを食べないキャロルの、キャビアについての「後天的に覚えたものは、美味しく感じやみつきになる」という(明らかに「同性愛」を語っている)言葉。これが俗っぽく聞こえるのは、何十年もの間にこうした言い方が世に溢れたからだろうか?


原作ではキャロルが娘に贈るのは人形である。映画においてキャロルが買うおもちゃの汽車については、原作では、テレーズが「何かに突き動かされるように楕円の軌道上を走っている」ところに魅了されており、キャロルにその思いを説明しようとするが上手く口に出来ない、というくだりがある。ただ私には、映画の中のおもちゃ売り場に置かれた汽車は、それそのものよりも、そこに配された「普通」の人々のミニチュアと「普通」ではない二人との対比を思わせた。作中一度だけ汽車に乗る時、テレーズは周囲の楽しそうな人々の中で一人、涙を流すのだから。
対してオープニングに映る地下鉄の通気孔、最後にあることを決意したテレーズの姿に被る地下鉄の音は、地下にも世界があり、彼女がそこで生きていく決意をした、あるいは勇気を持った、ということを表しているように思われた。二人はあの後どんなふうに生きただろう?手が届かない、確認出来ないのがもどかしい。だけど時代は繋がっていて、キャロルの「娘」のリンジーが私の母の世代か、その更に娘が私か、などとも考えた。
ハイスミス自身のあとがきによれば、この小説の魅力は「同性愛者が自殺したり異性愛者に転向したりしない初めての小説であるところ」なんだそうで、フィクションが色々な意味で「普通」を牽引すると思っている私はその部分に感じ入った。映画化された「今」でもまだその効力がありそうだと考えると、複雑な気持ちになるけれど。