
「知性でもって英国に抵抗する目的で創設された」「多様な仲間と出会い何でも出来ると信じられた」ジャミア(・ミリア・イスラミア大学)が自身の知るそれとは全く変わっていたというノウシーン・ハーン監督の話に映画は始まる。夜だからなのか思い返すとモノクロで脳裏に浮かぶ映像には「世界で覇権を握りたければアッラーを崇めよ」と声をあげる男性に「原理主義に原理主義をぶつけてもだめだ、政教分離主義を守りたいなら…」と諭す男性、殺伐としたそこに「奇妙なことに」女性は一人もいなかった。
モディ続投が決定したところで終わる映画『燃え上がる女性記者たち』(2021)に時間的には続く2019年12月、市民権改正法制定に対する抗議運動の拠点であるジャミアに警察(と「警察が送り込んできたならず者達」)が乱入。破壊された大学の映像に被さる監督の「恐れるものがないなんて思えなくなった」が鮮烈だ。
それを受けて始まった、主にムスリム女性達によるシャヒーン・バーグの座り込みを同じムスリム女性である監督が記録する。彼女達は料理をし果物を配りスピーチをし歌を歌う。それはいわゆるミッドクレジットの映像である女性が料理がてら話してくれる「グラスに水を溜め続けたらいつかは溢れる」、いつまでも黙ってはいないということなんだろう。座り込みに賃金が出ているとの報道は本当だろうかと遠方からやって来た女性、「ここに来て初めて後ろめたさがなくなった」と言う女性、ここにはまず安堵がある。
冒頭、娘が脚を怪我させられたと憤慨し参加している母親の話から、私の母ならと監督は幼少時を振り返る。ジャミアに行くまでは少数派は目立ってはいけないと自分を圧していたと。そうした生い立ちもあってか、撮影しながらもその場の同じムスリムの女性達に馴染めない、馴染みたいという衝動を消し去りたいとも思うと語る。恐ろしい弾圧の記録の後には(ムスリムだと分かる)自分の名前が殺される理由になると実感したと言う。
変貌した大学の光景を皮切りに、カメラは時に「デモに興味津々の」シク教徒の少年に貸し出され、与党支持者が少数派を煽りまくる映像を「これがヒンドゥー教徒の姿だと私が言ったら?」と歪んだ力を発揮する可能性を示し、デリーの議会選挙を経てトランプ訪印と同時に起きた警察による暴力の跡を訪ね「私にできる唯一のなぐさめ」として人々の話を聞く。この映画はそうした過程を経て監督が自身を強く受け入れていくまでの記録でもあり、一人称視点がとても効いていた。