99分,世界美味めぐり



映画を見ることと外食をすることには通じるものがあると思っていたところ、香港の「ボー・イノベーション」のシェフ、アルヴィン・ラン(料理の話をし始めると愛らしい)が口にする「experience, something exciting」に確信した。映画、あるいはかつての映画について話してるみたいじゃない?「不快ぎりぎりを狙う」というのにも、なるほどそういう作り手もいるよなあと思う。映画を見ても、そうした外食との共通点よりも「物語」、あるいは「これまでの映画で見慣れたもの」に心惹かれる私が、外食にさほど興味が持てないのは当然だ。


Run-D.M.C.を発掘したレーベルの元オーナーだというスティーヴの「美食をしていると飢餓問題を持ち出される」という話も、映画を見ることに通じる。いわゆる「問題」をはらむ映画を見た後にお茶する時、恥ずかしいけれど私はほんの少しのためらいを覚える。「美味しくないからといって価値がないわけではない」と言う彼の話は全てが面白い(インタビューを受けている自宅のテーブルの上のお皿には何が乗っていたのか、とても知りたい・笑)料理を食べての「口の中をずっと支配されているようだ」なんて表現もいい。フォワグラとアンチョビの件でのシェフとの言い合いには、「ありがち」な一幕とはいえ知性のせめぎ合いとでもいうものを感じた。


彼よりはずっと「オーソドックス」な他の美食ブロガー達のパートも楽しい。ただそれは、私にとっては、彼らが「映画」の一要素であるからこその面白さだった。レストランまでタクシーで、あるいは歩いて向かう姿。「鮨さいとう」でおあいそをする何とも言えない「間」(作中ブロガーが「財布を出す」映像はこの一度だけ)。9000キロ旅した先の中国のレストランでの表情と言葉には、私まで胸がいっぱいになった。


「イセエビは火を通すだけでいいんだ」という「批評」の後に、シェフが刃物をぶさりと突き刺すカットを繋ぐという意図的なコミカルさがあるかと思えば、「先に皿を洗え」と怒られた若いスタッフがカメラの方をちらと窺うナマさもある。ドキュメンタリーを見る時のこうした醍醐味に似た何かが、外で食事をする時にも味わえるのかもしれないなどと考えた。