シェフ 三ツ星フードトラック始めました



色んな要素が盛り込まれており面白かったけど、女の描き方が私が一番苦手な類のもので、女が出てこないうちは楽しいという、すなわちこれも多くの古典落語と同じで、男だけが出てくるうちは登場人物を「人間」として見られるけど、下手に女が出てくると、その役割が決まっているので「女」である自分を意識するはめになってしまうという、たまにあるタイプの映画(笑)


「Chef」がタイトルである意味が分かるシーンがいい(主人公のタトゥーに字幕が付く場面)。冒頭の軽快な料理シーンが、しばらく後のオーナーとの会話によって、振り返ると感じが違って捉えられるのも面白い(あの場面で彼は「シェフ」だったか?)
SNS絡みの描写も楽しかった。冒頭、有名俳優演じるレストランのオーナーは主人公に対し「俺に黙って勝手にツイートするな」と怒りを表す。自分の「ボス」でいるということは、SNSで公私を統一できるということなんだなと思う。「評論家」問題を、「あんなこと言われたら誰だって傷つく!」というびっくりするほどシンプルな一言で解決してしまうのも面白い(主人公は、「作り手」じゃないくせに!と言いたいわけではなく、誰かを傷つけることはよくないと言いたいのだ)


主人公が「キューバサンドイッチ」に出会う場面で、男三人と同席する元妻だけがサラダを注文している。夜にああいうもの食べてたら私みたいに肉が付くだろうから、ソフィア・ベルガラのような体の女性がそうするのは「リアル」な描写とも言えるけど、「映画」だから違う意味があるのかなと思い気になった。もし「リアル」ゆえなら、彼女は「今後」彼の料理を食べることがあるのだろうか?これがこの映画を見ていて一番引っ掛かった点。
同居人いわく「子どもの頃から食べてたものだから飽きてるのかと思った」。ちなみにスカーレット・ヨハンソンが主人公に料理を振る舞われた時の表情も「不味そうで、嬉しくないか、彼の腕が落ちてるのかと思った」。すなわちこの映画に(メインキャラクターとして)出てくる女は「食」に対して熱が無い…というより、この映画では「男」と「女」とがはっきり分かれており、女は男とは熱を持つ対象やその持ち方や表し方が違う、というのが正確に近いかな。


見終わって話していたら、出てくる料理に「あまりそそられなかった」と言う。実は私もそう。これは扱われる食べ物の種類の問題かな。でもあの屋台村のようなところには行ってみたい!「俺の」シリーズとか、やっぱり楽しいもんね。
でもって、ニューオリンズが舞台の「トレヴィの泉で二度目の恋を」(感想)に続いて、本作にもカフェデュモンドのベニエが。あちらは住み慣れた町で、こちらは美味しいとこつまみ食いしながらの旅の途中にて。今年のうちに三本目のベニエ映画が見られたら嬉しいな(笑)