タンゴ・リブレ 君を想う



オープニングの強盗事件の一幕、音楽がうるさくて何が起こってるかよく見えないなと思っていたら、全編に渡って、よくも悪くもそんな感じの映画だった。面会室での2人×2の会話(+1)の場面、囚人達が初めてタンゴに触れる場面、とにかく何でもがんがん入り乱れるのが見どころ。



「なによ、あんたまで嫉妬してるの?」


車どころか見渡す限り人影の無い田舎道でも信号および「ここから出てはいけません」の白線を守る刑務所の看守J.C.(フランソワ・ダミアン)は、一人暮らしの自宅に帰ると一匹の赤い金魚にエサをやり、カリカリに焼いたパンにバターを塗り小エビをのせ、立ったまま食事をする。立ったままなのは、ささやかにタンゴのステップを踏むため。こうした姿に大好きなカウリスマキの「パラダイスの夕暮れ」のマッティ・ペロンパーを思い出して楽しい気持ちになる(特に窓にブラインドを下ろしたままのところ、アキ映画では主人公の窓の外に広がりは無い、マッティは隣の家の壁を見ながら食事する)。
刑務所の面会室、いつもは水槽のように見えていたかもしれないガラスの向こうにアリス(アンヌ・パウイスヴィック)を見つけ、「あの女は…」と「意識」し始めると、作中初めてタンゴが鳴り響く。タンゴ教室で手を握り腰を抱いた彼なのに、ガラス越しに彼女と手と手を合わせる男に…それが彼らが出来る「最大限」のことなのに…嫉妬する。一方その男、アリスの「夫」のフェルナン(セルジ・ロペス)も、「女房が他の男と踊るなんて」と苛立ちを露わにし、自分もタンゴを覚えようとする。


アリスの「夫」のフェルナンが「愛人」のドミニクに向かって「アルゼンチン・タンゴの起源」を語っていわく「もともとは男同士で踊るものだったんだ、女を奪うために練習するのさ、もし女が一人しかいなかったら野獣同士の奪い合いが始まるんだ」。彼はアルゼンチン・タンゴのことなど知らないようだったのに、なぜそんなことを語るんだろう?自分の信条なんだろうか?ともあれ、本作でもタンゴを踊るのはまず「男達」。刑務所の庭で練習する彼らは、男同士のダンスなんてとばかりに「お盛んだな」とからかう奴をさらりとぼこる(笑)
踊りに限らず「女を奪い合う戦い」(とされるもの)に触れるたび、男は努力によって「勝利」の可能性すらあるのに、女は愛されなければ何にも参加できないのかと思ってしまう。本作ではアルゼンチン・タンゴの起源を「女を奪い合う戦い」としておきながら(本当のところは知らない)、物語の内容やその「結末」によって、おそらく作り手の意図じゃないんだろうけど、私のこの不満を少し解消してくれる。「女」を「対象」として描いていないところも気持ちいい。アリスは「特別」でも何でもない、極めて「普通」の人間だ(もっともあの「夫」と「愛人」には随分美人だなと思ったけど・笑)。
「夫」がアリスに「お前はいつも人任せなんだから」と言うのにぐっときた、私もそうだから!でもって、その後の彼女の「一発」はあれど、そんなに嫌じゃなきゃ人任せにしちゃうという選択もありって話なんだから嬉しい。映画に出てくる「女」はしっかり者ばかりでうんざり(笑)


アリスがレコードプレイヤーに掛けたシュープリームスの「Baby Love」で、ダンスなんて習ったこともない息子と楽しそうに踊る場面でふと、「規則」に従って生きるJ.C.は楽しくなるためにどうしていいか分からず、その方法を「学ぶ」ためにタンゴ教室に通っていたのかもなあと思った。
エンドクレジット時に延々と流れる映像も嬉しい。だってJ.C.(が一人の女と出会ったこと)の影響で、あんな大きな「変化」が起こったってことだもんね。加えてただただ踊りの快感が伝わってきた。