あぶない母さん



岩波ホールで開催されているジョージアグルジア)映画祭にて観賞。リーフレットから想像していたのとかけ離れており作中の主人公のように笑いがこみ上げてきた。スクリーンを地面とすると、その下の地層を感じるというよりこちらに向かって何度も激しくジャンプしてくるような映画だった。


岩波ホールで映し出される注意書きに「ポリ袋の出し入れはおやめください」の一文があるように、日常生活においてポリ袋は最も煩い音をたてるものの一つだ。映画は朝の5時に起きた主人公マナナが買い物に出て大きなポリ袋を手に帰宅するのに始まる(落語の「たらちね」を思い出す・笑)。彼女が留守、つまりポリ袋を持ち帰らないと(終盤の誕生日の集まりの時のように)「家には何もない」。家や父親の部屋にポリ袋を運んでも皆は死んだように寝ているから、あんなに大きな仕事をしながら音を立てないよう努めている。


家の表と裏とはどこだろう。集合住宅なら他の住人と一緒になる、通路に出られる玄関、店舗なら通路から通じる大通りに面した入り口、それら「表」からの出入りにマナナの真実は無い。夫に「好きな部屋を借りて執筆して、好きな時に帰ってくればいい」と言われても「それは違う」と返すのは、結局は玄関から出入りしなければならないからだ。店主が表のシャッターを閉めても裏口の鍵を渡してくれたおかげで、マナナは「裏」から外に出て冒険し、原稿を書くことができた。


家のキッチン兼リビングや店の「赤い部屋」の鏡にマナナが映る時、鏡の中の彼女は違うんじゃないかとふと思わせる。裏から出掛けた彼女が探検するのはまるで鏡の国のようで、店主を付け回した先のレストランでのシーンなど異様でどきどきしてしまった。ラストシーンの「こう考えたらどうだ」からは、見ている私の中に、ああ何て手垢のついた物語だろうという乾いた笑いと少々の湿りが交互に来て、映画を見ていてあまりないことなのでびっくりした。