チャクチャク・ベイビー


レインボー・リール東京にて観賞、2023年イギリス。脚本監督のジャニス・ピューは北ウェールズの出身で、舞台はリバプール近くの小さな町。

家の外への窓は開けつつ家の中で自身を守るようにイヤホンをつけているヘレン(ルイーズ・ブリーリー)と、父親が死んだ家に戻ってきてハートにHとひっそり描いてある部屋でジャニス・イアンのレコードをかけるジョアン(アナベル・スコーリー)。ヘレンが仕事に向かう車で一人、L.A.なんか行くこともないと歌うニール・ダイアモンドは鶏肉工場チャクチャク・ベイビーに着くと仲間の女達に引き継がれ、歌に乗せた二人の思いが次第に共有されていく。いわゆるミュージカルを見ていると何故その場の皆が一体となり歌い踊っているのか不思議に感じられることがままあるけれど、ここにそれはない。映画の魔法のないミュージカルシーンの数々にぐっときた。

「そんなにイージーに生きてるのになぜ怒りに満ちてるの?」とは終盤ヘレンが元夫のゲイリー(ケリン・ジョーンズ)に投げつけるセリフだが、この映画には、ゴミにゴミと蔑まれ壁を作られることで性的少数者がどんなに自分を卑下するようになってしまうかが強く描かれている。「みなしごヘレン」から「家政婦ヘレン」になった彼女と、彼女へのラブレターを「気持ち悪い」と父親に破かれ街を出たジョアンの二人の間には変わらぬ愛があるのに付き合うに至れない。そこで助けとなるのが、同じ町で生まれ育ち自らをはみ出し者と言う仕事仲間の女達の力強い支援というわけだ。エンドクレジットで二人を送り出した工場内の音がずっと流れているところにそれが表れている。

「これを食べる人達はうちらのこと知ってるのかな」。「この仕事はくそ」とのメモをチキンの尻の穴から突っ込むとは陽気なセメント工場だなと思っていたら、チキンに書いた文字を唾で消してそのままパックに詰め、最後にはヘレンが鍵を突っ込んだパックを「ゲイリーに渡して」…あそこで詰められ送り出されるチキンは自分を軽んじる社会への彼女達の言い分なんだと分かる。そして身寄りのなくなったヘレンを家に住まわせてくれたグウェン(ソーチャ・キューザック)との素晴らしい時間。下半身を洗ってもらう際の「私の性器に幻滅しないでね」で笑って「もうやった?」で泣いてしまった。色んな形の愛が繊細に描かれた映画だった。