ルノワール


昔ながらの一軒家から集合住宅に住むようになって何十年、いまだ慣れない一つは、昼間でも外の明るさが認識できず、玄関のドアを開けると思っていたより必ず明るいということだ…と再確認するオープニングの一幕で舞台が私(と、同世代である早川監督)の子どもの頃だと分かる。1987年の夏と示されるあの頃に流行っていた超能力やおまじない、インコを飼うこと、伝言ダイヤル、「西洋画」、私にはこれらが書き割りの背景のように、活きていないように感じられてしまった。フキ(鈴木唯)の母(石田ひかり)が「恋」する男(中島歩)がタバコを道に捨てるのも当時なら普通だけど、火をつけたままというのは、つけるだけつけておいて他人に尻拭いをさせる性格の表れだろうか。

氷河期世代となるこのフキは「今」何をしているだろうと思いもするが、この映画にはそういう拡がりも感じない。子どもだって自身は認識しておらずとも社会に生きているはずなのにそれが見えない。「架空の現代」といういわば本作と真逆の『PLAN 75』(2022)には感じた現実味が、「あったはずの過去」を描いた本作には無いのが不思議だ(ついでに言うなら、舞台が地方、岐阜であることにも現実味があまり無い)。

フキの何につけてもフラットな態度は私があの位の歳の時に確かに備えていたもので、映画ではあまり体験したことがないから面白いと思った(相手にもう見えているのにああして隠れてみるなど、私もしたことがある笑)。当時リアルタイムで描かれた少女はもっと対象化されていたものだ。しかし性被害に遭ってもそうだと分からない、これもまた強烈に覚えがあるあの感じをそのまま描くのは、観客の成熟を信じているとも言えるけど昨今の幾つかの映画が抱える「却って見やすくなっているだけ」に通じるとも思った。撮影が心配になったけれど、エンドクレジットにインティマシーコーディネーターの西山ももこの名前があったので安心した。

冒頭の母と病院のスタッフの「仕事がありますので週末に」「週末はこちらの都合がありますので」。当時一般企業の管理職に就いている女性はほぼいなかったはずで(男女雇用機会均等法の施行は前年)英語の論文を読みこなす父(リリー・フランキー)共々高学歴の夫婦なのかなと想像したけれど、その背景はぼんやりしている。それよりも、「死ぬことの分かっている」父親がいる一家はやがて母と娘の二人になる、当時そういう家庭はなかった、いや、ないはずがないから、ないことにされていた、そういう家庭の話なのだと受け取った。薬の名前から自身の病気を突き止めた父と「先のことを考え」早々に喪服も用意する母、家の外では「真実ハンター」のように人が隠していることを掘り出すフキの三人は、なぜだか楽しい仲間のようにも見えた。