
東京フィルメックスにて観賞、2025年オランダ・フランス・スペイン・韓国・シンガポール、タン・スーヨウ監督作品。
級長を決める手書きの投票用紙を教室のゴミ箱に捨てるものだろうか。私が担任なら処分するにしても一旦もらって持ち帰る(あんな学校には私はダブルミーニングで「勤められない」けど)。シンガポールでは、あるいはエリート女子校ではそれが普通なのかよく分からなかった。ともあれ転校してきたばかりのシンユーは、毎晩幽霊を見るというあなたの話を信じる、私も幽霊を見た、うちらはあなたに投票したと言ったヴァネッサが帰った後、ゴミ箱をあさって赤い筆跡を確認するのだった。
校歌斉唱の後に生徒達がだらだら帰るオープニングから印象的な、全身真っ白の制服も汚れが目立つのにと不思議だ。しかし汚れれば、色付きの下着を付ければすぐ分かるのが肝心なんだろう。後にショベルカーが均してしまう遊び場でシンユーが見るヴァネッサの背中には黒い下着が透けている。このカットには性的な高揚が感じられ、その前にヴァネッサがからかわれる「リム先生にキスしたら100ドルね」「えこひいきされてる」(下着だって見逃されているのでは?)なんてセリフも彼女が女性をひきつける存在と言っているようだ。シンユーが自宅に幽霊を撮影しに来て暑さに髪をあげた彼女とふざける場面、彼女の水泳部のジャンパーを着て一人踊る場面には焦がれる思いが満ちている。それらの映像が学校や家の逆鱗に触れることの裏にはクィアへの弾圧がある。
学校や家と真逆の存在に思われるソフィアの「プンおじさん」に四人は生き様を習うことにする。お酒など入っていなくても「酒入りミルクティー」とふるまってくれることが大事なのだ。おじさんは「正義でもって権威に立ち向かう」のはギャングであり、ギャングでいるには「何よりも友情が大切」だと言うが、女子中学生にできることのあまりの少なさに見ていて胸が潰れそうになった。ギャングとして何かするのではなくギャングでいるための儀式を繰り返す。友情のためには同じ高校に進学して同じ世界を共有せねばならないし、それは彼女らには困難だ。映画の始めに学校を讃えるアナウンスをかき消すように机を引きずって登場したシンユーが、繋がりを押し潰されてもなお一人で「ギャング」をやってのける最後の姿は素晴らしかった。