RBG 最強の85歳


「私達は入念に準備して懸命に戦った」「彼女から返ってきた原稿には多くの細かい修正がなされていた」とはルース・ベイダー・ギンズバーグと共に働いた女性達の言だが(友人によると「彼女ほど自己主張をしない人はいない」そうだが、その成果により周囲の人々のこうした言葉が大変な説得力を持つ)、ギンズバーグの弁は実があり端正で(私に崩れた英文が読めないからというのもあるけれど)、法廷での当時の音声に合わせて画面に字幕が出るのがとてもよかった。音声が残っていないのか他の人の口から語られるブッシュ対ゴアのものも面白かった。

ギンズバーグが在籍した1950年代のロースクールでは授業中に女子学生は指名されなかったのだそう。卒業生の女性は萎縮させないためと言われていたと語る(後のギンズバーグの「女を守るという名目で…」と被るじゃないか)。在籍時の彼女は「女性の名が貶められないよう緊張していた」、後にVMIに初めて入学を許可された女性も同じようなことを言っていたけれど、数が少ないとはそういうことなのだ。常に証明し続けなければならず「普通」では許されない。存在する意味を問われる。居ていいに決まっているのに。今だってそう、ケイト・マッキノンにちなんで言えば女だけの(監督は男だけど)「ゴーストバスターズ」は面白くなくちゃ許されないような雰囲気だったじゃないか。

ギンズバーグははっきりと言う、夫マーティンが自分を認め支えてくれたのは「彼が自身に満足しており私を脅威に感じなかったから」だと(つまりそうしない男性はそうでないからだというわけだ)。映画「ビリーブ(On the Basis of Sex)」でアーミー・ハマーが演じた彼の笑顔や冗談、それを見、聞くギンズバーグの表情を実際に味わえるのが楽しく、「私は数限りなく愚かなことを言ったがことごとくルースに無視された」というジョークにはなぜか涙が出てしまった。その後に挿入される彼の最後の手紙と、予告編にも使われている、冒頭でもう見せてくれる、彼女のトレーニングの様子を思い出し、それは死から遠ざかるための行為だから、ぐっときた。

女性であるため弁護士としての職を得られずロースクールで教鞭を取っていたことにつき、「ビリーブ」と本作とでは見たこちらが受ける感じが違う。教室での面白い場面が多々あった「ビリーブ」に対し本作では写真が一枚映し出されるだけだが、ジャニスの「Summertime」にのせて70年代の女性解放運動の様子が示された後にギンズバーグが求めたのはデモよりも自分の裁判のスキルを活かすことだったと語られることにより、自らができることとしてまず教鞭を取ったのだというより力強い印象を受ける。

ギンズバーグのやり方はアメリカ合衆国憲法を根拠に法律における差別をこまやかな言葉で訴えるというものである(尤も他の法律家もそうであって、解釈と言語化が違うのであろう)。冒頭「アメリカの女性の地位は」…何と言っていたっけ、最高裁判事に着いた際のスピーチで彼女自身も「私がここにいられるのはアメリカだから」という言い方をしていたけれど、世界が狭くなろうとやはりその国の人間にしか出来ないことが殆どなのだと思った。日本のことは日本にいる私達がやらなきゃならない。