おかしな求婚


「“ほぼ”アメリカ映画傑作選」にて観賞、エレイン・メイ脚本監督の1971年作。

まごうことなきウォルター・マッソーのスター映画にして、あくまでも彼演じるヘンリー・グラハムが主人公の物語。彼がどんな奴かというほぼ一人芝居に冒頭かなりの時間が割かれているんだけど、マッソーでなければ気が遠くなっていただろう(それでなくても私にはぎりぎりって感じ)。gentleman of gentlemanたる執事の「結婚ほど容易な金儲けはない」とか何とかいうセリフに話が動き出す(考えたらその先についての言及は無いわけで、彼の言うことは作中通じて全て「当たって」いる)。

山岸凉子の『雨の訪問者』を読むたびに(終盤、主人公が帰宅した夫に着物を着せかけるコマを見るたびに)、こんな快適な条件の生活をしているのになぜ結婚するのかとじれたものだけど、それは彼女は私じゃないからなわけだけど、この映画のエレイン・メイ演じるヘンリエッタも好きなことをしながらの一人暮らしだなんてそこから結婚に至るどんな説得力を示してくれるのかと見始めたら、そもそもその暮らしとは彼女だけが大金をがんがん吸い取られる集団生活なのだった。この使用人達や真に彼女が好きなのかと思いきや金をむさぼりまくっていた弁護士などの金絡みの描写が、ロマコメにしては(ロマコメと見るなら)やたら現実的。

一方でヘンリエッタを殺す想像をしながらも庭のテーブルにつけば服の着方は大丈夫かとチェックしてタグを切ってやったり旅に出れば眼鏡にまで着いた蜂蜜をすすいでやったりするようになるヘンリーのいわば矛盾した状態は、ロマコメらしくも現実的に感じられる。おじに「歳を取った若者」と言われた男は映画の終わり、人生の日暮れに差し掛かってようやく「ぼくの体温を君に分けるよ」…すなわち「共有」を知るのだった。ここでの彼の、これまでに比べて距離の近すぎる彼女をまともに見られない目つきと彼を信頼しきって見上げる彼女の瞳の対比のよく出来ていること、屋敷に帰ってから二人で使用人達にどんな采配を振るのか知りたくてしょうがなくなって話は終わる。