コンフェッション ある振付師の過ち


Amazonプライム・ビデオのおすすめに出てきたのを観賞、原題「Match」。2004年にブロードウェイで上演された舞台の原作者が脚本と監督を手掛けた、2014年アメリカ作品。ニューヨークで一人暮らすバレエ教師トビー(パトリック・スチュワート)の元へ、彼が自分の父親だと言う男性とその妻が現れる。

「自分の父親であろう男性に会いに行く(あるいは呼び寄せる)」要素のある映画でそれを行うのは多くが少年少女である。大人である例には2001年にやはりブロードウェイで演じられたミュージカルを元に作られた「マンマ・ミーア!」などがあるが、あれは明るい。対してシリアスなこの作品では、トビーを質問攻めにするマイク(マシュー・リラード)は「60年代の性生活にそんなに興味があるのか」と怒鳴られる。大人同士だとこうなるわけだ。加えて「あんたがタイツ姿で踊ってる間、母は(同じダンサーだったのに)生活の糧のために必死に働いてた」という追及も加わる。このやりとりが、胸糞が悪くなるわけでもなく笑うわけでもなく見入ってしまうように描かれているものだから、なんて上手いことだろうと思った。

マイクが単身でなく妻のリサ(カーラ・グギーノ)と共に訪ねてくるのが面白いなと思っていたら、やがてそこに大きな意味があると分かってくる。これは長らく他人に文字通り触れることがなく生きてきた三人の話、本当は求めていたものを自分から求められるようになるまでの話なのだと。要所要所でテーマ曲のように流れるAmor de Dias「Viento del Mar」(世紀の変わり目の頃によく聞いたような懐かしい感情を呼び起こす曲だ)がとても合っており、穏やかながらポシティブな気持ちになる。

「芸術家は彼ら自身が時代を反映する」とのセリフから、トビーのような人間が当時、すなわち60年代を体現しているという話と取ることもできる。マイクの母グローリアももう一人の父親候補も今や死に、彼だけがあの時代を背負ってかなり遅ればせながら次世代と対峙する。始めはシリアスであることを拒み、やがては少々旧弊なセンスでセックスを肯定し。また先のセリフが本当にグローリアの言葉なら、夢をあきらめ子を育てた女の心の叫びと取ることもできる(…と作り手は意識していないような気もする、ジェンダーが深く関わっているにも関わらずその意識は薄い作品だ、そこのところは引っ掛かる)。