午前4時にパリの夜は明ける


父親に「良識や感性が必要な仕事はいくらもある、今は変化の時だし」と言われる母親エリザベートシャルロット・ゲンズブール)と歴史教師に「詩人になりたいなら本腰を入れて、うわの空はよくない」と言われる息子マチアス(キト・レイヨン=リシュテル)が、前者は仕事を終え一日の終わった、後者は学校前の一日の始まる朝にキッチンで顔を合わせるがどちらも岐路にある…その後もあり続けるわけだけど、そんな素振りは全く見せない。面白いなと思っていたら、最後の引用で分かるようにこれはつまるところそういう話なのだった。

そんな二人が行き場のない少女タルラ(ノエ・アビタ)と出会う。電話に出ない元夫に泣くエリザベートの前で何度も吐く「男なんてクズ」とのセリフから過去の一端が推測されるが、場面変わるとマチアスと出かけているのにどういうことかと不思議に思う。橋の上でのやりとりを経て(ここが一番ロメールぽい、私のイメージでは女が嫌なことをされやめてと言っているのがロメールの映画)彼女は彼の上に乗り、その後出ていくのだった。

エリザベートの子どもたちへの「タルラを見ていると胸が痛む、(私の行動が)やりすぎだったら言って」。シャルロット・ゲンズブール演じる、少なくとも私の印象に残っている「母親」にはこうした類の弱さがあり、なぜだかとても、陳腐な言い方だけど人間らしさを感じて好きだ。洗濯物を干しながら、養育費ももらえないので仕事を探さなきゃと登場した彼女がその後は家事をする姿をほぼ見せず、最後に「用無しになったような気がする」と恋人に打ち明けると「君はライオンだ」と返されるのだった。

ロメールの『満月の夜』に遭遇した後のジュディットのパスカル・オジェの真似にマチアスとタルラが笑い転げるのに口ぶりが面白いのかセリフやお話が面白いのかと考えたけれど、考えれば若い頃は何でも可笑しかったものだ(といって今も案外そういうことがあるけれど)。実在の人物(オジェ)の死が組み込まれていることに驚かされると共に、その面影の託されたタルラは少々物を言わなすぎだろうと思った、これがポシティブな意味で「他者は常に断片しか見せない」ということを語っている映画だとしても。