こどもたち


イタリア映画祭2021のオンライン上映にて観賞、2020年ジュゼッペ・ボニート監督作。第二子が生まれたことで嵐の只中に放り込まれる夫婦に、リッカルド・ミラーニ監督の「これが私の人生設計」「環状線の猫のように」の主役として見てきたパオラ・コルテッレージと、「完璧な他人」のユ・ヘジンの役をオリジナルの方で演じたヴァレリオ・マスタンドレア。

「いつもいないのはあなたの方」「ぼくはビリヤード場で遊んでるわけじゃない」「そんな人ならとっくに別れてる」、何気ないこの最後のセリフの的確なこと。日曜日に在宅せざるを得ず赤子と二人きりになった父親に襲いかかる「不幸」の数々に見ているこちらは笑ってしまう…が、気付けば男に対してだけなのだ、笑えるのは。いつものことじゃないと思うから笑えるわけだ。彼は悪い人間じゃないけれど、座っているだけの父親を見て育ち、自分の方だけ仕事を続け、というので子どもの面倒を見たら誉めてもらえるものだと思うようになってしまった。

周囲の人はシンプルで尤もなアドバイスをするが、ハートは大きくすることができても持ち時間は増えない。この世には矛盾が存在するということだ。手を繋ぐという行為には自分以外の人間を感じることによる安心感があると思うけれど、二人がそうする姿には、同じ矛盾を共有している他者の存在を確認しているようにも思われた。

この映画の大きな主張は、赤子が「存在を主張」しないうちは、すなわち辛苦が無いうちは、「自分の国、結構いいよな」と思えるが、苦しくなると全然そうは思えないということである。不労所得の有無だとか、世代差だとか、そういうことがいわゆる、今使われている意味での「自己責任」として襲いかかってくる。

「一組のカップルをお見せしましょう」とでも言うようにカメラが窓から入って出て行くオープニングとエンディング。映画は「神」が作ると言うけれど、ここでは映画の中にも「神」がいて、二人の役者が演じる二人の人間が色々な二人を演じているとでもいった入れ子構造のようにも見えるのが面白い。あるいはそれが私達の姿なのかもしれない。