gifted ギフテッド



とてもよかった。物語は小さな水色の家、「ディズニーキャラみたい」な格好を嫌がる女の子、片目の猫、「スペシャル」な朝食に始まる。不在の人物がずっと存在している映画は数あれど、「もう居ない人」に支配はされず、かつその人に誠実であるとはどういうことかを描く、素晴らしい映画だった。「真理や論理ですね」のあの弁護士は、哲学を馬鹿にするなと蹴飛ばしたくなった(笑)


冒頭、メアリーを初めて学校に送ったフランク(クリス・エヴァンス)が、預けてあるけれど使ってほしくはない鍵でもって入ってきたロベルタ(オクタヴィア・スペンサー)に「泣かれると俺が冷たいみたいじゃないか」と言う、その感じがいいなと思っていたら、教室で立ちどころに計算問題を解いてしまうメアリーの、ボニー先生(ジェニー・スレイト)への態度もそれに通じるところがあるような気がして、そこで惹き込まれた。


ボニーは教室で一人PCに向かい、暗算の方法についてまずはおそらく色んな気持ちがない交ぜになった状態で検索、確認する。後日、今度は父親フランクの名を検索し、それから少しの行程で二人の背景に辿り着く。今やありふれたこんな場面になぜか新鮮さを感じていたら、後に弁護士が裁判所でPCを持ち出して来た時に分かった、あそこに表れていたのは世界に接触しようとする意思なんだって。後にフランクを追ってきて「私の生徒」と言う、その覚悟なら、彼の行き付けのバーまで足を運んで根掘り葉掘り聞く「権利」だってあるというものだ。


メアリーも、ガールスカウトにだって入った方がいいかもしれない、ショー・アンド・テルにだって取り組んだ方がいいかもしれない。そういう結論には、ギフテッドに対する知識の少ない私には、全篇を通して目立っていた、彼女が「子ども」用のおもちゃで遊ぶ姿によって説得力が与えられていたように思う。この映画が辿り着くいわば中庸性は、実際の問題としてどうというより、マーク・ウェブの、一つの要素をすごく深くは掘り下げはしないが決められた箇所を真面目に丁寧に掘るという誠実さの結果のようでもあって、とても彼らしいと思った。


イヴリン(リンゼイ・ダンカン)とフランクが裁判で争いつつ、終わるとイヴリンの方が、自分の卑怯とも言える手口につき「笑わないでね」と言い、少しの距離を置いて並んで歩きつつ話をする、親子、というより二人の在り方。ああいうところがたまらなくいい。