風立ちぬ



涙は一切出なかったけど、とても面白かった。宮崎駿、いいじゃんと好きになった。私は「ピラミッドが無い」ならそれでいい、むしろ無くていいとも思うけど、「ピラミッドがある」方がいいと思う人の物語だって好き。
エンドクレジットには「時をかける少女」を思い出してしまった。本編と「関係ない」というか「ありえない」というか、そういう「映像」だから(笑)


蚊帳(私も子どもの頃使ってた)、屋根(私も子どもの頃上ってた)、という自分の「体験」と被るものが出てくる冒頭に乗れず、更にはイタリア人の飛行機製作者・カプローニと繋がる夢の描写にぽかんとしてしまい、どうなることかと思ったけど、二郎が青年になった…すなわち二郎と菜穂子が出会う、関東大震災の描写(素晴らしい!)のあたりから突如面白くなった。庵野秀明の声のせいもあるだろう、とても魅力的だった。お手伝いさんを背負って運んで流れる汗、後に菜穂子の喀血を知らされ急いで身支度する際に流れる涙、いずれも玉のように「きれい」だけど、ネガティブな感じはしなかった。
少年時代の二郎は苛められている子を助けて怪我をするが、東大進学以降は、そういうもの、戦争になれば即影響が及ぶような、言うなれば(お金の問題だけじゃない)「庶民」の世界とは関わらずに生きていけるようになる。地震の時に学校の様子を見に行き本庄と言葉を交わす場面でしみじみそう感じた。就職で名古屋に向かうために乗っている列車が「仕事を求めてやってくる」人の群れを蹴散らす場面も心に残る。事情を知らずきょとんと見下ろす二郎、どんどん進んで行く列車。これはそういう話なのだ。上手く言えないけど、そういうことを堂々と描くのって、すごくいいと思う。


お気に入りは、最も印象的な登場人物であるドイツ人の「カストルプ」が出てくる軽井沢での一幕。その悪魔のような顔のどアップが何度も挿入される。菜穂子と父親との会食の約束を待つ二郎の前に現れていわく「ここは魔の山、日本が満州国を作ったことも、国際連盟から抜けたことも、全て忘れられる」。菜穂子の父親に交際の許可を求める際には横から「魔の山を降りたら恋は終わる」。カストルプの諸々の言葉に対し、二郎が僕は違う、と言い返すのはこの時だけ。彼が責任を持てるのはそれのみなのだ、それだけが二人きりの問題だから。悪魔は「ただ一度だけ」を歌い、あっけなく去ってゆく。
二郎と菜穂子が紙飛行機をやりとりする場面もいい。そもそも私は乗り物全般が好きながら飛行機のみ興味が無いんだけど、「飛行機」絡みでもここは面白かった。地上と三階とに離れ離れの二人が紙飛行機を飛ばしあうというだけの場面なんだけど、異様なまでにしつこい(笑)


菜穂子が「風があなたを運んできた時からずっと」二郎のことが好き、というのが伝わってきてぐっときた。二郎に対し「ものを作る人間の生命は10年」と告げたカプローニは、ラストシーンで「どんな10年だった?」と問う。この時、奈緒子の10年はどんなだったろう、と思わずにいられなかった。
twitterのTLでは「女が『理想的』すぎる」という意見を幾つも目にしたけど、私はこういうの全然好き。私だって好きなら煙草、吸われたい!病気じゃないから気持ちは分からないけど、あの状況ならば、自らの命を削って一緒に居るなんて甘美としか言い様がない。ともあれ女の方も最初から男に惚れてる、何たって「王子様」なわけだから、見ていて楽しい。女に惚れた男が努力で獲得するって話は嫌い。そっちの「逆」はまず無いから、不公平だと思う。
予告編では菜穂子の「ナイスキャッチ!」に違和感を覚えてたものだけど、実際「普通」の子もそういう言葉を使ってたのかもしれないけど、二人は二等と三等の違いはあれど、そういう人種なんだな。「風」を求めて汽車のデッキに出てくるタイプとも言える。二郎と仲間達とのやりとりには、「コクリコ坂から」の次がこれか、なるほどなという気がした。


名古屋出身者としては、ご当地ものとしても楽しめた。ここをもっと宣伝してくれたら、初日に見に行ったのに。まあ、名古屋愛はあまり感じられなかったけど(笑)
大学を卒業した二郎が就職するのが三菱内燃機製造名古屋工場。彼が降り立つ当時の名古屋駅(「エンドクレジット」でも取り上げられるのが嬉しい)、「栄三丁目」行きの名古屋市電、「カブトビール」の大きな看板(数年前に旧工場に見学に行った)、食堂の「みそにこみうどん」と実家の畑でも作ってる、中程まで青いネギ。最後の朝に作ってるご馳走は私の苦手な(笑)押し寿司だ。二郎と菜穂子の結婚式で黒川夫妻が述べる口上、全く耳馴染みが無かったけど、あれも尾張の風習なんだろうか?


零戦」の試験飛行に成功し「素晴らしい飛行機ですね、ありがとう」と言われた二郎は、その後に「地獄」を見る。カプローニいわく「君の作った飛行機がこんな結果をもたらしてしまったんだからな」「でも君は生きなければ」。これには「ものを作る者としての寿命が終わっても」という意味もある。後は「ワインでも」飲んで生きていこう、ってことかな(笑)