レ・ミゼラブル



公開日からしばらく経ったことだしと出向いたら、レディスデーの新宿ピカデリーは最大スクリーンが一時間前には満席。時間をずらしてシネマスクエアとうきゅうにて観賞、こちらも混んでいた。


女の出番は少なく(元々そういう話なんだろう)、男同士の物語だった。お目当てのエディ・レッドメインの銃を構える姿は意外にも!かっこよく、ヒュー・ジャックマンは力持ちの役なのでふんばる場面が多く、ラッシーは…捕らわれた際の上目遣いがよかったかな。好みの映画じゃなかったけど、見どころはあった(笑)


映画は刑務所できつく汚い労働をさせられている男達の歌に始まる。綱を引っ張る爺さんの声は絶え絶えだが、ヒュー・ジャックマン演じるジャン・バルジャンは朗々と歌う。この場面からずっと、ミュージカルに「歌が上手い」ということは必要(いわゆる必要十分条件)なんだろうか?と考えてしまった。最も悩まされたのはエポニーヌで、いい役なのに、歌が流暢すぎて残念だなあ、なんて思ってしまった。
それを言ったら、非・ミュージカルの映画だって、登場人物全員の言うことがはっきり分かる(「セリフまわし」が上手い)のは不自然じゃないか、という話になっちゃうけど、要は「はまっている」か否かということ。私には「その人の声」という感じがしなかった。


ミュージカルと非・ミュージカルとでは時間の流れが違う。「普通」の映画ではさらりと描かれることが、ミュージカルでは長々一曲使って表されることもある。いずれにせよ、スクリーンに映っているべき「適度な尺」とでもいうものがあるように思う。でも本作では、主にアン・ハサウェイ絡みの、工場をやめさせられるくだりや、娼婦にならざるを得なくなるくだりなど、そんなに時間くうとこじゃないだろ!と苛々した(笑)尤もそれは、先に述べたように元々が「男の話」であり、「枝葉」が引き伸ばされてるから、なのかもしれない。


ラッセル・クロウ演じるジャベールは面白いキャラクターだと思うんだけど、本作では、その人の見つめているものが全く描写されないので、魅力が半減している。しかし登場人物が増えると、例え誰もが「独り」であっても、他人と向き合う場面が出来るので、面白くなる。だから多くの顔が揃う「フランス革命」あたりからは、ちょっと楽しくなる。例えばエディ・レッドメイン演じるマリウスが初めてジャン・バルジャンの顔を見て隠れる、多分「好きな人の怖い父親」と思ってるんだろうなあ、なんて、あんな場面でも。
「革命」には「歌」が合う、というのもある。子どもが歌い始める場面なんて、非・ミュージカルでも全然ありそう、すなわち「見慣れ」た感じがするから、余計なことを気にせず楽しめる。
ところでジャン・バルジャンが「彼(エディ)」をマリウスと知って心を変えるくだりなど、ミュージカルじゃなかったらどう描写されてただろう?よく言えばミュージカルの魔法、悪く言えばごまかしが端的に表れてるように思った。


最も心に残ったのは、終盤、ジャン・バルジャンが荷物を馬車に載せようとしてふと出来なくなる場面。もちろん彼の気持ちの問題もあるだろうけど、ジャベールの「お前の逃げる脚が萎えるまで(俺は追う)」という言葉を思い出し、「予感」に胸が詰まった。ここにはセリフも歌もない。結局、映画においては、私はそういう所が好きなのだ。