二郎は鮨の夢を見る



銀座の老舗鮨店「すきやばし次郎」の店主・小野二郎を追ったドキュメンタリー。


まるでタイトル(原題「Jiro Dreams of Sushi」)のようなラストカットに、「死刑弁護人」の正反対のオープニングを思い出し、全く違う仕事を全く違う視点で取り上げたドキュメンタリーなんだな、なんて考えた。私は「死刑弁護人」の方がずっと好きだけども。
例えば二郎氏の長男・禎一氏が「乱獲」について語る時、マグロの群れが泳ぐ「イメージ映像」が流れるのにはがっかりした。出てくる人たちを、もっとダイレクトに感じたかった。技術名称が分からないけど「ジオラマに見える」ようなカメラは、バックがぼやけて中心がぺかぺかしてるので、人物まで「モノ」に見えてしまう。鮨を握る場面にクラシック音楽ががんがん被るのは、山本益博の「二郎さんはいわば最高のコンサートマスター」などの言葉から、鮨をオーケストラに例えてるということなんだろうか?


映画は敢えて言うならば二郎ファミリーの肖像、とでもいうようなものをを次々と提示してくる。山本益博は「すきやばし次郎」について「皆、シンプルなのになぜこんなに奥深いのかと驚く」と言うが、結局そういうことで、だからこんなふうに、二郎さんの周りをぐるぐる回るような内容にならざるを得ないのかもしれない、などと思いながら観た。
しかし最後に至って、二つの「答え」が得られる。脈絡がないと思われた内容が、テーマに沿って集められていたことが分かる。まずは、私達には、あるいは本作を観てきた人には既に分かっていることだけど、二郎さんがカウンターに立つ時に「鮨の95パーセントは出来ている」、すなわち二郎さんが幾多のプロに支えられているということが(本人の口から)告げられる。もっとも二郎さんの「(店内に限っては)その仕事を教えたのは俺だけどね」という冗談めいた言葉が付け加えられるけれども。
そして、もし二郎さんが引退しても、「すきやばし次郎」は長男が続けるだろうとの「予感」が示される。これがもう一つの「答え」だ。禎一氏の仕事ぶりがしばらく映され、前述のラストシーンとなる。


お店に行ったことはなくても、「銀座」や「六本木(ヒルズ)」のイメージ、銀座から築地までの道のりを知ってるから、観客としては得?したなと思った。
私は海産物は好きだけど生となると苦手なものが多いので、食欲は全く刺激されなかった。カウンターの板に置かれる鮨のアップがしつこく出てくるんだけど、置かれたそばからネタが垂れ下がり、汁気が滴るその様はいかにもはかなく、二郎さんの「出された時が食べ時」という言葉を裏付けているようだった。
入居しているビルの廊下で海苔をあぶるシーンや「賄い」シーンなど、単純な意味での「舞台裏」が見られるのも楽しい。二郎さんが魚を試食した箸を乱暴に置いたり、山本益博が親子に話を聞いてるのを見習い達がカウンターにもたれるような姿勢で聞いてたり、意外と「ラフ」な部分があるのも面白い。終盤故郷の浜松に出向いた二郎さんが見せる「素顔」もひっくるめて、総じてマッチョな感じがする。


一番印象的だった言葉は、マグロ仲買人の「魚が十匹いれば、一番いい魚は一匹だけ」。こういう魚を美味しいと感じる人がいるかも、なんて考えは無く、常に「頂点」は一つ。そういうのが「プロ」の一つの形かもなあ、と思った。