ワンダーランド



フィンランド映画祭2018にて観賞。2018年、イナリ・ニエミ監督・脚本作。


オープニング、主人公ヘレナ(ミルカ・アフロス)がクリスマス前にソファに一人、ワインに日記とくれば「ブリジット・ジョーンズ」でも始まりそうだが、彼女が悲しいのは特定の誰かが自分の方を向いてくれないゆえなので行き先が違う(すぐ分かるように実は「誰か」がちゃんといるのだし)。大音量で流れるのは自分を鼓舞するのではなく他者が自分を拒否する音楽だ。


(尤も娘が「ジョニ・ミッチェルなんて聴いちゃだめ」と言うのは「ラブ・アクチュアリー」でクリスマスを前にエマ・トンプソンが夫に思い人がいると知って一人泣く「青春の光と影」から来ているんだろう、本国版ポスターがこれだからそう取ってしまう・笑)


誰かと誰かが並んで座って語らう画が多い。作中最初にそうするのはヘレナと親友のウリ(マリ・ランタシラ)。「女子会」にて二人より一回り若いマルヴァが同級生に、あるいは同級生が彼女に自らの選択を誇示してみせる場面で、互いの境遇の違いをどうとも思っていない二人の友情の成熟が浮かび上がってくる。それが年の功なら「加齢は悪い」ことじゃない。作中最後のやりとりがハグの後の「アドバイスは?」「アドバイスはない」というのもいい。


ヘレナと元夫が現れた朝食の席を立つオイヴァが「娘は外で遊んでるし二人は寝てる」と口にするのは、自分にとって大切な二人の数日間を持ち出して元夫婦の長い時間に対抗しているわけで、見ている私としては彼のことがたまらなく愛しくなる(恋愛映画には重要な要素だ・笑)。同時に人間関係とは、小さくとも何らかの社会の中で育まれるということが示唆されている。


かように素晴らしい瞬間が何度もある、私としては温まるのが遅くとも面白い映画だったけれど、全編に流れる大変な優しさは自分の求めているものではなかった。「カメラを止めるな」の時にも感じた、全てに開かれている愛は私には愛ではないということをまた思ってしまった。あるいは反抗心のない優しさには興味が持てないとでも言おうか。