カンボジアの失われたロックンロール



東京国際映画祭にて観賞。2014年、ジョン・ピロジー監督作品。原題は「Don't Think I've Forgotten : Cambodia's Lost Rock & Roll」(「Don't Think I've Forgotten」はシン・シーサモットの曲のタイトルから)。


冒頭、スタジアムに聖火?を点ける映像にプノンペンの近代化を讃え推進する歌が流れ、西洋文化流入が始まったとナレーションが入り、そうだ、これがアジアだと思う。アジア同士も大きな影響を与え合ってきたけれど、この、今の、文化を流入した側(というのか)の気持ちは私達には絶対に分からない。とはいえ面白いのはカンボジア人も、いやどの国の人だってそうだろう、国の伝統を元より身に着けているわけではなく、シン・シーサモットも妃に招かれ勉強して伝統的な歌唱法を身につけ、それを取り入れ更に人気が出たというところだ。


前半は50年代からのカンボジアのポピュラー音楽が素敵なコラージュも駆使して紹介される。「ベニヤ板で工夫して作ったスタジオ」の現在の姿に当時の写真を切り抜いたスター達を並べた映像なんて可愛い。70年代にはそれまでになかった、日常生活を描いたり字面だけじゃ分からない言外の意味を表現したり、あるいは絶対音感を用いなかったり英語とクメール語とを混ぜたりする歌手が出てくるというのが面白い。でもって作中一番分かりやすい皮肉な演出は、英語とクメール語のミックスの歌が流れる中、アメリカを信じたのが間違いだったとの殿下の手紙の内容と彼が殺されたことが語られるくだりだ。


クメール・ルージュは誰彼構わず殺した」の辺りでイメージ映像が挿入されたのは、それを撮ることや残すことはさすがにできなかったから(映像が見つからなかったから)なのかなと思い、同時に他の映像の貴重さを強く感じた。ジャーナリストが危険な所へ行くことについてあれこれ言われている昨今だからタイムリーだと一瞬思ったけれど、考えたら、というか考えなくても、こんな問題を「タイムリー」だなんて言う方が変だ。いつだって暴かなきゃならない「秘密」があるんだから。


上映後のQ&Aで監督は「作中に使用しなかった映像が後で見つかったらくやしいですかと聞かれたけれど全然そんなことはない、それこそが望むところ」というようなことを言っていた。そういう心持で作られた映画である。忘れたと思わないで、とは生き残った人々のまずは気持ちである。終盤の、町の店先に当時のスター達のカセットテープが並ぶ現在の映像が大変に輝いて見えたものだ。「妹の歌を聴くと彼女の人生を哀れに思う」「でも今でも歌を聴けて嬉しい」(ロ・セレイソティアの姉、語る。妹はいつどこで死んだのか明らかになっていない)