孤独を感じていた女四人が家族になり「未来は『まだ起きていない』」ということを武器に闘うようになる…という前日譚なわけだけど、お話はもとより細かい描写の数々が面白かった(映画にはそれこそが大事)。タハール・ラヒム演じる悪役エゼキエルが登場するやハニートラップの類を仕掛けたり、20年前にコンスタンス・ウェブの近くにいる名目が「護衛」だったり(男の中には女を守るという名目を悪用する者がいる)。
超人的な肉体を持つ相手と予知能力でどう闘うんだと思っていたら、救急車の運転席で登場するカサンドラ・ウェブ(ダコタ・ジョンソン)が手近なタクシーや救急車を奪ってエゼキエルに突っ込んでいくのが面白い。個人所有の高級車に対する(エゼキエルはスーツを着れば車なんて必要ないが)誰でも乗せるイエローキャブや救急車が活躍する映画だと言える。AEDの使い方も見どころ。
エゼキエルの見る夢のくだりに未来は決まっているものじゃないのかと思っていたら(こうした要素のある作品の殆どがそうじゃないと分かっていても)、『クリスマス・キャロル』を見ていたカサンドラが窓にぶつかる鳩を助けるくだりでそうじゃないと彼女と私に分からせるタイミングがいい。未来を予知できるなら映画で私が今見ているのは何なのかという戸惑いもダイナーの一幕で解ける。
カサンドラは前から三人の少女を「知って」いたが本当に知ってはいなかった。中指を立てた、病院でこちらを見ていた、家賃を払えずにいた彼女達にはそれぞれ事情があった。誰しも背景があるという話である。一方でエゼキエルは誰にも助けてもらえなかった。
三人を見捨てないと決めたら何をするかって、早朝から叩き起こしてまずは枕で心臓マッサージの練習、すなわち自分の技術の伝授(それは自分に返ってくる)。マティに「悔しいけど教えるのが上手」と言われていたけれど、確かにカサンドラの言動は、ラストシーンで三人に話す内容からしてもなかなか教師っぽい。エゼキエルの最期を前にしてのセリフ「あんたの悪魔は三人じゃなく私」もいわば憎悪を引き受ける感じでかっこよかった。