アメリカン・フィクション


これでどうだと自棄もあっての社会運動のつもりで垂れたクソが「馬鹿をすることが金になるアメリカ」では祭り上げられ、「いかにも黒人だ」と言われたあげく世に出て大金になるというお笑いと、主人公モンク(ジェフリー・ライト)の「黒人らしくない」がハードな現実が並行して進むのがうまい。「『多様性』要員」として文学賞の審査員に呼ばれたあげく黒人2名に対し白人3名の「黒人の声を今こそ届けなければ」との意見でそのクソが選ばれるなどという茶番が間を埋める。

モンクは「敵」を見る目で普段より観察している黒人向け番組を元に、すなわち同じ「インテリ」でもシンタラ(イッサ・レイ)のアプローチとは真逆のやり方で小説を書く(「私達はプロだからさわりを読めば分かる」と言う彼女はその小説につき「魂がない」と述べる)。白人に邪魔され途切れたシンタラとのやりとりを経て黒人の子が白人の人形を選ぶドール実験の写真を見たモンクはあれはクソなんだとちゃんと世に言おうと決意するが、複雑さを解しない白人製作者に求められ再度垂れてみたクソがやはり受け入れられる。黒人に「死」を求める世界はそうそう変わりはしない。しかしモンク自身は変わっている。その、彼の目の前に新たに現れた複雑な世界を見せることが目的の作品のように思われた。私自身の属性に引き寄せて言うなら、「女も男もない」と言う「女」と「女と男は違う」と言う「女」が手を取り合う世界。

生計のための教職を解かれたモンクが久々に帰ったボストンの実家では、彼が「捨てた」とも言える女三人が暮らしている。妹リサ(トレーシー・エリス・ロス)を亡くし、母(レスリー・アガムズ)を高齢者施設へ送り、家族同然の家政婦ロレインに結婚で家を出て行かれ彼は一人になる。別荘の向かいに一人で暮らすコラライン(エリカ・アレクサンダー)と恋人のようになり、母親の引っ越しや見舞いなどに公選弁護士の仕事が忙しいと言っていた彼女も常に付き添うようになるが、諸問題に悩まされているとはいえ当初からモンクの態度は私には随分なものに感じられた。「揚げ足取り」じゃない非言語的なふるまいも。そして「映画の中の彼女ならぼくを受け入れてくれるかも」という類の彼のクソは誰にも認められることはないのだった。