東京クルド


「入管に嫌味ばかり言われるけど(嫌味どころじゃないけど、それでもまだ「嫌味」と言えたのだ、この時は)安全なだけ、いい」と9歳の時に日本へ渡ってきたラマザン。その「根拠」は冒頭に置かれた2015年の在外投票時に起きたトルコ人クルド人との間の暴力事件の映像や6歳の時にやって来たオザンの父親の体験談、新年を祝う祭りがトルコでは行えないなどの話に表れているが、果たして人は生きているだけで生きていると言えるのか。住民票がなく保険に入れず就業も許されず、いつ収容されるか分からない。長期収容時に患ったラマザンの叔父はクルド語で「死にそうだ」としか言わなかったというが、それが彼らの今じゃないか。

オープニング、ボウリング場にて流暢な日本語で会話を交わしながらはしゃぐラマザンとオザン。見ているうち、作り手が仮放免中のクルド人の中でも二人に焦点を当てた理由、いやその結果が見えてくる。ラマザンが「高校生の時に働く資格がないと分かって…」と話すように、彼らは自らの境遇をより強く認識する時期にある。同じ境遇でも性分や考え方は勿論違う、その点も重要だ。「授業参観に一度も来てくれなかった」父親から遠ざかろうとするオザンの姿には、最近見た映画「トゥルー・ヒストリー・オブ・ザ・ケリー・ギャング」も思い出した。一人暮らしを始めた彼の部屋の、クリムトの絵やワインセラー代わりの棚などのインテリアに、人には生き方についての信条や好みがあるものなのだ、それを実現できるのが文明国家じゃないかと思う。加えて誰かの持っているそれは外に居る時には見えないものだと思う。

衝撃を受けたのは、四年間掛けて定時制高校を卒業したラマザンが語学系の専門学校への進学を希望するも、在留資格がないからとことごとく電話口で断られる、その相手方の声を集めたくだり。私は以前に外国人留学生の進学の仕事をしていたので、あれらの言葉は私がやりとりしていた存在から発せられたものというわけだ。自分の仕事の内にこんな問題があると想像できなかった(留学生向けの専門学校というのは「敏感」なものである、そこから想像できたはずなのに)。弁護士との面談で彼が読み上げる陳述書にさらりと書かれている一つ一つの困難の巨大なこと。例えば昨今割と表面化されてきてはいる、日本語を解さないまま日本の学校に通わざるを得ない子どもの問題など、ちょっとした声、お金、選挙に行くこと、デモに参加すること、色々な方法で国を変えてよい方へ進めなきゃならない。