アメリカン・ティーン


バルト9にて観賞。画像はロビーに置かれていた、この映画のアピール看板。



インディアナ州ワルシャワ…「白人とクリスチャンと共和党支持者がほとんどを占める、アメリカの典型的な町」を舞台に、高校生活最後の1年間を送る17歳を描いたドキュメンタリー。「the geek=オタク」「the princess=女王様」「the jock=スポーツ選手」「the rebel=変人」というそれぞれのカテゴリを代表する4人を中心に話は進む。


100分の間、ドラマチックなシーンやアニメーションが次々と飛び出し、こんなにサービス満点でなくても、ランチタイムの食堂の様子を長々と見せられるほうがいいなあ、などと思ってしまった。どうせなら、皆がどういう気持ちでカメラに納まったかも知りたかった。でもどこかの誰かの日常というのは、それだけで面白い。
それから、全然関係ない(映像にも連想させられるところは全くない)んだけど、高校生同士のカップルの姿に、突然「ツイン・ピークス」を思い出してしまった。


アメリカは実力主義だと教わってきたが、高校の中は完全なカースト制だ」…という冒頭のナレーションは、「マーチングバンド」に所属するジェイクのもの。ニキビ薬を塗ってる姿だけでどんなタイプだか分かる。
「へんな子に好かれ、気に入った子には嫌われる」という彼だが、ガールフレンド欲しさに果敢にアタックを繰り返す。
作中最初に拒否される女の子の家に花束を持って出向き、相手が「帰ったばかりでシャワー浴びてないんだ〜」と言うと、「ぼくは浴びてきたから、逆だね」なんて、それじゃあ会話にならないよ!また、なんとか付き合いに漕ぎ着けた彼女からの別れの宣告の最中、机に突っ伏してしまい、顔をあげるなり「(机に)アブラがついちゃったよ」って、これには笑ってしまった(少々の胸の痛さと共に)。傍から見たら「なんで一緒にいるんだろう?」という二人だったけど、若いときにはそういうこともあるんだろう。
それにしても「ガールフレンドさえできれば自分を肯定できる」という彼の思いは、まるで昔の少女漫画のようだ。どういうときに人はそう考えるんだろう?



女王様のミーガンは成績優秀でお金持ち。私には肉づきのいいマリリン・マンソンにしか見えなかったけど、男子も女子もそのルックスの良さを認めている。一族出身のノートルダム大学に入るために勉強もすれば、幾多のスポーツをこなし、パーティで大きな顔をし、気にくわないことをした相手にはガンガン悪事を働くという、とにかくエネルギッシュな人間で、同じクラスでたまに喋る分には楽しそうだ。
クリスチャンの多い国に育つってこういうことなの?と面白く思ったのは、クラスメイトへの嫌がらせ電話のシメが「あんたのしたことは、何よりも神様が知ってるわ」…冗談にせよ、こんな言い草、私には思いつかない。生徒会長の自宅への落書きは「fag(訳は『ゲイ野郎』)」だ。友達に責められたときの「私だって恥じたわ…でも自分を許したの」というセリフは最高。なんて頭がいいんだろう!いつか使ってみたい(笑)
終盤、早く大学に入りたい〜という彼女の思いが表現されるアニメーションの内容も、あまりにあまりで笑ってしまった。これまでの「悪事」は、彼女にしてみれば周囲の人たちのせいだったのかあ、と。大学に進んでからは「女王様」をやめたそうだから、当たり前ながら、人は環境によって変わるものだと思った。


映画監督を目指すハンナは、芸術を愛するデリケートな女の子。ドリュー・バリモアみたいにふわふわした顔立ちが可愛い。
保守的な町(同じ住宅が並ぶ風景には相変わらずぞっとさせられる!)を出てカリフォルニアでの勉学を望む彼女に対し、普段は一緒に暮らしていない両親が強硬に反対するシーンは見ていて辛くなった。でも、あんなふうにきちんと話のできる彼女は偉い。あの年頃の私なら、話が通じないと思えば黙ってしまっただろう(もっとも「とくに何もしたくない」私の場合、親の方から夢を持て、海外にでも行け、とやいやい言われたくらいだから、こういう事態はなかったわけだけど…)。
同時に、この先ハンナも変化するし、親の側だって変わるんだ、と不意に思った。


最後に皆が旅立つシーンでは、もう15年も前、自分が上京したときのことを思い出してぐっときた。
私の場合は、知人にトラックを借りた父親が荷物を運んでくれたけど、普段から運転しているミーガンやハンナは自分でハンドルを握る。どんな気持ちなのかな?と想像した。


私にとって高校時代は、すごく楽しかったけど決して戻りたくないものだ。それ以降に知った喜びと苦しさのない生活は、もう考えられないから。