MadeGood.filmsにて観賞、2020年ノルウェー、ベンジャミン・リー監督作品。2015年にオスロのギャラリーで起きた絵画盗難事件を切っ掛けに始まる画家と泥棒の交流を描くドキュメンタリー。
映画の作りが凝っている(ように見える)ため、あんなにも色々なことがあったのに、映画が終わる頃には何も無かったかのような奇妙な感じにおそわれた。それは二人の人間の重みを消すものではなく、男に暴力を振るわれ新たなパートナーと共にチェコから逃げて来た、「商業主義」的ではないため困窮している画家と、酷い子ども時代を送りギャングに入り薬漬けになり、絵を盗んだ時の記憶も持たない泥棒の二人が2015年の後も懸命に生きる姿が心に残った。
映画の前半は「画家」パートで画家バルボラから見た泥棒ベルティルが、「泥棒」パートで泥棒ベルティルから見た画家バルボラが語られる。前者の「危ない目に遭うことが多い、自分でそれを起こす、認めてほしいのだ」との解釈の後、ベルティルが盗難車で事故を起こし「泥棒」パートに入るに至り、構成が見えてくるのと「泥棒」がカメラに向かって語り始めるのとで映画の作り手の存在が突如強まる。映画の後半、例えばベルティルが刑務所から電話しても繋がらずしょんぼりしている時、バルボラが今どうしてるのか教えるなんてことはドキュメンタリーの中ではあり得ないわけで、言い古された疑問だけど、彼女のパートナーのオイスタインが口にする「大事な友人の傷跡を描くだなんて躊躇はないの?」が映画自体に降りかかってくる。しかし手のみの写真を撮らせたベルティルが(私ならあんなこと、躊躇するだろう)「手は人生を語ると気付いた」とバルボラに伝え絵に満足するように、「芸術」とはそういうことを引き受ける人々によって作られる…いや作られるべきと言っておこうか…ものなんだろう。彼女は「美がなければならないというルールがある」と言うが、監督も何かがあると思ったから映画を作ったのだろうか。
冒頭のニュースにおける「泥棒は大抵額ごと盗んでいくが、彼らは短時間で200本もの釘を抜いて絵だけ持ち去った」と中盤のベルティルの「大工をしていたことも話せばよかった(バルボラは人の暗い面ばかりに興味を持つから話せなかったとの含意。出所後にネットで出会った女性にはかつて自分で作った小屋を案内している)」のナレーションが引っ掛かっていたのが、最後に二人して絵を額装するのに釘をうつ場面でいわば収拾がつく。私はそれで終わるのかと思ったけれど…最後に明かされる作品に、芸術家というのは大胆なものだと胸を打たれた。