ジョイ(エリザベス・バンクス)が受ける人工妊娠中絶施術が、20分まるごとではないけれど長尺で丁寧に描かれるのがよい。『17歳の瞳に映る世界』(Never Rarely Sometimes Always)で印象的だった他の女の手はこの時にはなく、ひとり冷たい枠を握り割れた天井を見つめ震えながら指示に従い時間を耐える。
そして、これ以外のことはおよそ明るい調子で描かれるのがよい。施術後に出来立てのパスタをふるまわれ、寝てから帰ってねと言われる「ジェーン」(Jane Collective)の部屋は、手製のクッキーを持ち帰ることになる、男が女をいないものとする医療関係者理事会の部屋と対照的だ。そこには「苦労のない専業主婦」のままなら触れることのなかった、病院で「(流産したいなら)階段から落ちればいい」、銀行で「(夫の口座から偽のサインでお金を引き出すのに)行員に見られてるから早く」と声をかけてくる仲間の女達との繋がりを源流とした、力強く変化もし続ける連帯がある。後に設けられる無料枠にどの依頼者を適用するかの話し合いなど、レイプされた子だ、11歳の子だ、立ち退きを迫られてるシングルマザーだ、論文を書いた人だ、なんて言い合いが笑いを誘うんだから見事な塩梅だ。
「法律は守る、抜け道を探さない、嘘をつかない」を信条とする夫ウィル(クリス・メッシーナ)にはジョイのことを救えない。法律は常にある種の人々を取りこぼすから、守ってばかりじゃいられないし変えていかねばならない。善人にも分からない者が多いからこそその必要がある。医者の帰りの車内での「ぼくがなんとかするよ」(1秒ごとに子ども、育ってるんだけど!)、流産を明かした食卓での「男はそれこそ医学を勉強するけど女は家庭科とか」「私は家庭科が好き」「私もよ、でもそれは別の問題」との母娘のやりとりを受けての「女性は何にでもなれる」(妻が学んだスキル、無給で使ってるんだけど!)なんて物言いに夫のものの見えなさが表れている。
一方で「ジェーン」が雇っている「医者」のディーン(コーリー・マイケル・スミス)は男の中でもいわば辺境の存在。ジョイと彼、バージニア(シガニー・ウィーバー)と彼の酒を前にしての駆け引きにはこれぞ映画の面白さという妙があった。パトカーで訪ねてくる刑事(ジョン・マガロ)との探り合いの末の触れ合いも素晴らしかった。誰もが仮面をつけており、いつどうなるか分からない。
映画はジョイが「夫のためというわけじゃないけど、それもいいかも」と染めている金髪を結いあげ黒いドレスで装い妻として出席した新規経営者のパーティに始まり、皆で勝ち取ったロー対ウェイド判決への喜びに自宅を開放しての、活動の総括と今後への決意の集会に終わる。「これがなくなることが目標」という中で実際なくなったものはまだ少ないはずだけど、これはいったんはそうなったのである、いったんは。この映画を笑って見られるよう、私達は世界を担っていかなきゃならない。