テルアビブ・ベイルート


オープニング、私にはいかにも丁度よいスピードで、かつては線路だったという道に車を走らせる二人の女。その後の物語を見ているうち、それは死ななければ国境を越えられない世界において愛と共に自由にあるためにはどちらに行くでもない、ほかでもない国境の上をゆくしかないということを言っているかのように思われた(そのようなことはできないし、そういう場面ではないと分かっても、それでも)。

母が幼いタニアに聞かせる「杉の国」レバノンの物語の、転んだ娘がどこへ行ったか分からないという結末は、子の疑問に親が答えられないことを暗示しているようだ。爆弾はどこから来るの?と聞かれてもここは大丈夫だと安心させるしかないのだから。「行方不明の人」の顔の貼紙、遊んではいけない相手。

そのような理不尽な環境では、愛する人とほんの少しでも離れていることが大変なストレス、辛苦になる。この映画が一番に訴えているのはそれであるように私には思われた。ゆえに手に届くところに帰ってくればの喜びもひとしおであり、その双方が続けて描かれる冒頭の母と姉妹のダンスシーンが素晴らしい。一方で待つのに疲弊した妻は「隣」に心を置くようになる。

東京国際映画祭の上映作のうち、希望や楽しさがあるのはこれだけという気がなぜかしてチケットを取ったんだけど、「確固たる戦争」に苦しめられる人々の話なので辛いことばかり。しかし女二人が自分達を痛めつけるものを直に見てやろうとばかりに紛争地帯へ車を走らせる僅かな道中、ひととき笑いが生まれる。タニア(ザルファ・シウラート)はミリアム(サラ・アドラー)の口から、消えた少女の魂はどこにあるかを聞くのだった。