サポート・ザ・ガールズ


普段ならそういうことは思わないけれど、この従業員ほどの年の女性が見たらどう感じるかなと考えた。オーナーのカビー(ジェームズ・レグロス)がいの一番にあげるルール「NO DORAMA」をマネージャーのリサ(レジーナ・ホール)が無視する理由、その責任は彼女達の側にはないのだから積極的に無視すべきだということが若い頃にはまだ分からず女の間で齟齬が生じるという話、それでも…という話に私には見えたから。

シングルマザーのダニエルに言わせればNo dorama girlとはシフトに人種が絡んでいると指摘したリサがクビになるのに抗議しないってこと。それについては(世間で言う「女性問題」が実際は「男性問題」であるように)彼女ではなくカビーに問題があると誰でも分かるはずだけど、それ以外の「ドラマ」についてはどうだろう、およそ女の子達に問題があるわけじゃないと分かってくれているだろうか。

リサが雇用前の者を働かせる違法行為をしてまで集めたお金を、それを必要としている当のシャイナは「私がばかだったから」とばかな彼氏に流してしまう。プロテクトしても「誰が助言なんて頼んだ」と言われる。彼女ら位の年齢だった頃より今の方が、例えば私は少しは賢く、同時に幸せになった。昔は自分に嫌なことばかり起こる理由が分からなかったから不幸だった。幸せになったそのぶんで何かしなきゃと思う、怒るってことも十分含めて。

近くにオープン予定の全国チェーンのブレストランには「個性的」な女の子は雇われない、あるいはその個性は消されるだろう。「うちの奥さんは君のママより手ごわい」に「キモ!」と返すのは勤務外でも許されないだろう。考えるだにこの業態だからこそ大変なのだ、従ってそれに抗うリサの行為はある意味この世で最も大変なのだと思わずにいられなかった。それでも、女の子達を死に向かわせないためにその精神は死んじゃいけない、ものだった。騒音の中なら叫んだって構わない、何にも影響を及ぼさないから、というのが彼女らなのだから。

冒頭ダニエルが常連客のジェイに「(何かしたら)殺すぞ」と言う場面など、他の映画なら笑える空気をまとっていることもあるがここにはない。正しいことだが、マンブルコアとはそういうものだからなのか、そういうことをしたくないからマンブルコアなのかは分からない。映画の終わり、屋上の泣き声についての彼女の「太ってるって言われたんじゃない?」は「くそみたいな仕事」をするもの達によるいわば自虐ジョークに響いて胸に刺さった。