ゴー!☆ゴー!アメリカ 我ら放浪族/ウディ・ガスリー わが心のふるさと

特集上映「サム・フリークス Vol.19」にて観賞、自ら選んで放浪の旅に出る男を描いたアメリカ映画二本立て。終わってみれば見る順番も肝だった。


▼「ゴー!☆ゴー!アメリカ 我ら放浪族」(1985年アメリカ、アルバート・ブルックス監督)は、カリフォルニアの広告会社の高給取りが昇進を反故にされたことから妻と共に放浪の旅に出る話。改めて見たら何てよく出来たコメディだと感に入った。

アルバート・ブルックス自身が手掛けた映画を全て見たわけじゃないけれど、彼の作品では大抵、彼は他者の「見えない部分」に出会う。この映画は彼演じる主人公デヴィッドが就寝中の妻リンダ(ジュリー・ハガティ)に内心をぐちぐち吐露するのに始まるが、後で分かることに、彼はそれが出来るから、もっと言うなら翌日のように上司に即キレることが出来るから、「見えない」部分を持たずに済んでいるのだ。謎が解けたようでなるほどと思ってしまった(ちなみにデヴィッドはそれ故かよく眠ることも出来、その間に妻が起き出してあれこれしているんだから面白い)。

この映画ではこの要素がお話にうまく絡んでいる。「イージーライダーに憧れていた」というデヴィッドはトレーラーから窓の外のバイカーに親指を立てて見せ中指を立て返される。放浪はしているがドロップアウトしたわけじゃない、ぼくらは「めったにいないタイプ」なんだというヤッピーならではの選民意識がある。それがリンダがカジノでほぼ全財産をすってしまったことで崩壊するんだから最高だ。何だかよく分からない仕事をしている人ほど稼いでいるという今も勿論通じるテーマが露わになる職安でのやりとりから翌日の仕事(あの子ども達の顔!)、トレーラーに帰っての一幕、シンプルで鮮やかなラストシーンも素晴らしい。


▼「ウディ・ガスリー わが心のふるさと」(1976年アメリカ、ハル・アシュビー監督)は彼の自伝を元にした作品、本は未読で映画も初めて。家の前で車に飛び乗ってからウディ(デヴィッド・キャラダイン)がアメリカを知りゆく話と見ていると、そうではなくアメリカが彼を育てた話なのだと分かってくる。実際彼はポーリン(ゲイル・ストリックランド)とのディナーの席で人々には思いやりがあったと語る(話は変わるけどこの場面でのサムソンの例え……)。

ここには二つのこと、どうしようもないこととどうにかなることとが描かれている。前者はメモを結局破棄して出掛けるくらい、一人でしか旅の出来ない、いや一人で旅をすることでしか生きていけないウディの性分であり、後者は仲間と違うやり方で自分は大金を手にすることが出来る時、どうするかという意志の問題だ。歌手は自身が体験したことばかりを歌うわけじゃない。その時に大切なのは何かという話である。

こんなにもボロ雑巾という言葉を彷彿とさせる人間、映画で見たことないという程の状態でカリフォルニアに辿り着いたデヴィッドがよろよろ通りに出ると、ここも変わらないんじゃ…という衝撃的に見事なシーンからの、貧民キャンプ、オザーク(ロニー・コックス)の「彼ら(資本家)が怒るのはおれの仕事が成功した証拠」、口にしたことのないアーティチョークをわずかな賃金で摘む労働者。全てを反映したガスリーの精神は今も受け継がれているが、ラストシーンを見ながらなぜか、この映画と彼の歌との間にはまだもっと距離があるような気がしてならなかった、変なことを言うようだけど。